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「てにをは」/検索と辞書/含意 【日本語で書くコツシリーズ①】

Enago
By: 久利 武蔵

Nov 01, 2024|この記事を読むのにかかる時間 : 10分

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エナゴでは、英語での学術論文発表数も多く、海外から注目される先生方にインタビューを行っています。その際、学生を指導する立場におられる先生方に、上手く英語で論文を執筆するためのアドバイスをお伺いしていますが、複数の先生方から、まずは日本語でロジカルに執筆できるようになることが大切だとのお言葉をいただいてきました。このシリーズでは、エナゴのライター久利 武蔵が、日本語の「てにをは」や、ことばのニュアンス、オンラインツールの使い方など、日本語をより正確に伝わりやすく書くための方法について考えを巡らせていきます。

 

日本語の「てにをは」 

狭義の「てにをは」とは日本語の助詞で、明治時代に日本初の近代的な国語辞典『言海』を編纂(へんさん)したことで知られる大槻文彦の用語です。元々は漢文訓読の際に読み方を示すため、漢字の四隅や左右、中央に点や線でつけられた符号「ヲコト点」の一流儀「博士家点」において、四隅に付けられた点をそれぞれ「て」「に」「を」「は」と読ませることに由来します。

この「てにをは」には、辞書的な定義では、「1.漢文訓読の際の助詞・助動詞などの総称」、「2.日本語の助詞」のほか、「3. 助詞・助動詞の使い方。言葉の用法。また、話のつじつま。(『デジタル大辞泉』)」という意味合いがあり、広義では、日本語の文章表現の正しさそのものを表すことばとして使われます。

つまり、「てにをはがおかしい」文章とは、整合性の取れていない文章です。「てにをは」が「話のつじつま」を指すようになるのは、助詞が、語句と語句、文と文の関係性を示したり、語句に意味を付け加えたりと、文章のロジックを決定づけるものであるからでしょう。つまり日本語の作文において、ロジカルに思考して書くことと、助詞を正しく使いこなすことは、関係の深い行いのように思われます。

先日昼食を取ったカフェで、電源の備わった席に着くと「オンライン会議など周囲に迷惑になる行為はお控えください」という注意書きがありました。少し引っ掛かりを感じました。筆者自身は、これまで「周囲に迷惑になる」と書いたことはなく、「周囲の迷惑になる」と書いてきたからです。

違和感を覚えたものの、自分の書き方が絶対に正しいのか自信はありません。そこで調べてみることにしました。調べると言っても、国語辞典で助詞の「に」と「の」の項を引いてみてもなかなか正解にはたどり着けないでしょう。そこでまず、インターネット上で、誰がどのように使っているのか、語法について誰かが何かを述べているかを見てみることで、考えるヒントを探ってみることにします。

 

フレーズ検索

Googleの検索機能にフレーズ検索というものがあります。二重引用符=ダブルクオテーションマーク(“”)で文字列を囲うことで、それと完全一致する文字列を含むページのみが検索結果として表示されます。
今回は、下記の2つの文字列それぞれで検索を行います。

“に迷惑になる”
“の迷惑になる”

いずれも少なからぬページがヒットします。(以前のGoogle検索では、検索ヒット件数と検索に掛かった秒数がトップに表示されていましたが、2024年10月現在これらの情報は検索窓の下の「ツール」をクリックすることで表示されます。)

ヒット件数は「“の迷惑になる”」が約 1,560,000 件 、「“に迷惑になる”」が約 596,000 件で、前者の表記を含んだページが2倍以上にあります。もちろん、多くの人が使っていたり、ネット上により多く記述されていたりする表現・語法の方が正しいとは限りません。(例えば、「うがった見方」という表現について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果などをみると分かりやすいでしょう。https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/kotoba/kotoba_002.html )より多くの人が「の迷惑になる」という表現を使っているものの、カフェの注意書きと同様な使い方をしている人も相当数に存在するということです。

そこで、「“に迷惑になる”」と「“の迷惑になる”」を検索二重引用符付きで検索窓に入力し、共に含むページを検索してみます(アンド検索)。ふたつの表記を比較したり(あるいは、単に用語統一・表記統一ができていなかったり)するサイトが検索に掛かるのではないかという目算です。

NHK放送文化研究所の「ことばの研究」のようなサイトに比較の記事などがあればそれなりに参考になります。はたして、知恵袋的なサイトで、どちらかが正しいかについての質問とそれに対する回答、そしてそのやり取りが正しいかについての質問などが見つかるぐらいで、あまり頭の中を整理できません。

 

コロケーション辞典、日本語コーパス

英語で、一般によくつかわれる単語の組み合わせはコロケーション(Collocation)と呼ばれますが、日本語においても一般的な語句の組み合わせは存在し、それを習得することが日本語学習者にとってはコミュニケーション能力の向上にもつながり、コロケーション辞典も刊行されています(研究社『日本語コロケーション辞典』https://books.kenkyusha.co.jp/book/978-4-7674-9110-3.htmlなど)。

また、少しデータが古くなりますが、大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所と文部科学省科学研究費特定領域研究「日本語コーパス」プロジェクトが共同で開発した『現代日本語書き言葉均衡コーパス』のデータを参照する少納言というサイト(https://shonagon.ninjal.ac.jp/)では様々なテキストの中から指定した文字列を検索することができます。

試しに「の迷惑になる」、「に迷惑になる」と入力するといずれもヒットしますが、「に迷惑になる」の件数は少なめです。

 

「迷惑」の語義

おそらく「周囲に迷惑を掛ける行為」という表記であれば、日本語としての正しさに疑問を抱く人はほとんどいないでしょう。ただ現在の日本の接客・サービスの現場では、「周囲に迷惑を掛ける行為はお控えください」という文言は、積極的には採用されないはずです。周囲に対して不利益や負担を負わせる行為を利用客が動作の主体として行うというニュアンスが色濃くなるからです。

ですから、サービスを提供する側としては、行為自体が「迷惑となる」といった言葉遣いに留めておきたい。もしかすると、筆者がこれまで目にしてきた「周囲の迷惑となる行為はお控えください」という文言の背後には、「行為者に過ちがあるかないかはさておき、周囲が迷惑と感じる行為」と伝えたいという意識があるのかもしれません。

そもそも現在の日本語で使われる「迷惑」は、相手に及ぼす側にとっては申し訳なさ、被る側にとっては不快感などが伴われる、人と人との関係性に結びつきの深い言葉だと思われます。しかし、日本語における「迷惑」という漢語の意味合いは、中国から仏教語として伝来して以降大きく変化したもののようで、意味の変遷についての研究が研究者たちによってなされています 。当初は「迷い」、「惑い」の漢字のとおり「迷い」や「道理に迷うこと」、つまり他者との関わりのニュアンスはなかったものが、鎌倉時代以降に現代の意味を帯びるようになってきたとのことです。そんな中、「の迷惑になる」、「の迷惑となる」という言い方が主流になっていったのだとしても、「に迷惑になる」という言われ方がされだしたのが最近のことだという訳でもなさそうです。

「加賀屋の店に迷惑になるようなことが出来ねえとも限らねえ。」
(岡本綺堂『半七捕物帳 松茸』)

カフェの座席に掲示されていた文言についての正解は結局のところ分かりませんが、読み手に対し書き手がどのようなスタンスでいるのかといったニュアンスを伝える上でも、助詞のひとつひとつに気を配ることの大切さを改めて考えさせられました。


1 例えば、横川澄枝「迷惑の意味の変遷についての一考察」、『言語文化と日本語教育』巻 14, p. 52-64, 発行日 1997-12-06 (https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/38964)
近藤明、邢叶青「「迷惑」の意味変化 : 虎明本狂言から四迷・漱石まで」、『金沢大学人間社会学域学校教育学類紀要』巻 3, p. 124-116, 発行日 2011-02-25 (https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/records/5468
近藤明「「迷惑」の意味変化 追補 : 松井利彦氏・横川澄枝氏の論との関連から」、『金沢大学人間社会学域学校教育学類紀要』号 6, p. 148(21)-141(28), 発行日 2014-02-28 (https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/records/5435)など
 

参考

文化庁広報誌ぶんかる「言葉のQ&A」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/kotoba_qa/index.html

NHK放送文化研究所 「ことばの研究」
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/index.html

『現代日本語書き言葉均衡コーパス』少納言
https://shonagon.ninjal.ac.jp/

 

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久利 武蔵

学部・修士課程で人文系分野(文学・映画学)を専攻。書店員、映像翻訳者、音声収録ディレクター、コピーライター等を経て、クリムゾンインタラクティブ・ジャパンではライターとして勤務。好きな洋菓子はモンブラン。