刑部 祐里子(おさかべ ゆりこ) 教授
東京工業大学生命理工学院教授
刑部祐里子先生へのインタビュー - Share Your Story
[取材・編集] 研究支援エナゴ
研究の面白さに言及される時の刑部先生は、とても「わくわく」したご様子でした。そして、それは聴き手である私たちにも伝染します。
東京工業大学生命理工学院教授の刑部祐里子先生は、ゲノム編集技術の研究を行う際の研究室を挙げての高揚感を説明くださいましたが、そうした理数系の学問の面白さ・楽しさが社会に正しく伝わっていないことが、日本における研究分野でのジェンダーギャップにも結び付いているのではないかと言われます。
学術研究を取り巻く環境についてお考えのことのほか、ヒト細胞でのゲノム編集を可能にするゲノム編集ツール CRISPR-Cas TiDの開発など刑部先生ご自身の研究テーマ、産業創出につなげる研究を行う上での心構え、壁にぶつかった時の対処、そして研究テーマの選び方などについてお話いただきました。
被引用数の多い先生の研究論文について 1
植物の環境ストレス耐性や応答という分野の遺伝子やタンパク質の機能解明の研究を長くしているので、それに関係する論文2が多く引用されている論文の一つだと思います。それから、近年はゲノム編集技術の開発をしていて、こちらが被引用数にどれだけ影響しているかは分からないのですが、ゲノム編集技術の関連論文3の被引用数も同様に伸びている可能性があると思います。
女性研究者が少ないアカデミアの現状について
高被引用論文著者として選出された研究者の中に女性が少ないことについては、実際のところ把握していたわけではなく、今回のインタビューの質問項目を見てこれほど少ないということを初めて認識したという経緯です。しかし、やはり女性が少ないことは、改めて、日本の現状を表していると思いました。もっと女性研究者が増えることが大事だと思いました。
日本のアカデミアの中に女性研究者や教授が少ないということについては、理数系を選んだ人たちが様々な側面で社会に貢献でき、本当に有益な人材になれるということが、女性だけでなく、学生やこれからキャリアアップを目指していく若い方に伝わっていないこと、また、理数系の分野が魅力的だと思う人が少ないことが、最大の問題なのだと思います。
理数系の学問は面白い、勉学や研究が楽しいという思いを伝えたいですし、理数系の勉強を通して得た技術や課題解決力は、研究職としてその分野を突き詰めなくても、優秀な社会人として様々な分野で活躍するために役立つということを知っていただきたいです。このような人材をどんどん増やしていけばよいと考えています。
この点に関しては、やはり日本が特殊な状況にあると言われています。欧米社会では理系の学位を持つ人々が大学卒業後、様々な分野に進出し活躍しているのに対し、日本社会ではそうなっていないため、女性は余計に気後れしてしまって、統計的なところでも極端に女性が少ないという現状が生まれているのかもしれません。
理系以外の分野に進学する女性が多いという事実は、女性にとって理系のアカデミックキャリア(研究職)の選択肢が少ないこととも関係していると思います。理系を選択した若者が色々な分野で活躍できるという空気が社会になければ、現状は変わらないでしょう。
理系を敬遠してしまうのは学生本人というより周囲の影響もあるのではないでしょうか。例えば、極端な例かもしれませんが、ご家族の中に、女子は文系に進むような漠然とした雰囲気があったりなど、時にはそのようなことが影響するかもしれません。男女を問わず、好奇心や色々な思いで、理系の分野も面白いと感じる若者は多いと思うのですが、周囲の方が今までの状況に囚われてしまっていることで影響が生じてしまうこともあるかと思います。
研究キャリア構築の障壁
以前よりは、少しずつアカデミアの環境が整えられているとはいえ、今以上に整えるべきでしょう。
漠然とした不安感による影響も大きいと思います。やはりどうしても、ご自分の進む道を慎重に選択なさる場合もあると思いますので、ある程度の道筋が見えていなければ職業としての研究を回避することもあるでしょう。現代は、とにかく突き進んでしまえという時代でもないため(笑)、誰かが先に歩いているのが見えるようにするなど、若者にとって研究という道が選択肢の1つとなるように、道標を提案することも大事だと思います。
学問の道を歩む中で直面した困難について
技術や研究力に関する研鑽を積み、高い能力を得ているかどうかが、アカデミックなキャリアを続けられるかの決め手であるというのが一般的なイメージでしょう。しかし、難しい問題ですが、実はそうでない面もあるのではないでしょうか。それは、私も含め、そのような状況によって苦しんだ研究者もいると思います。好きな研究を純粋に続けているという研究者は、一本気過ぎるがゆえに、そうした状況についてあまり社会に発信できてこなかったということもあるかもしれません。
具体的に言うと、次の研究ポストがないという、研究力とは直接関わりのない部分が往々にして生じていました。自由に様々な職場を渡り歩けるといった立場であればいいのですが、今まではそうした状況ではなかった。同様の苦労を抱える方は多かったと思います。
今後の日本の研究フィールドとして、研究者がそれまでの自分の研究を着実に進めていける場合もあれば、例えば、自身の希望によって、企業研究者や、アカデミアに近くても異なる業務に携われるなど、様々な分野に進める選択肢がより広がっていくと良いと考えます。科学技術を支えるエコシステムが重要で、知能や技量の高い人材をこのような新たなポストに投入できるような枠組みが必要なのではないかと思います。
私自身は、旧来の環境下でアカデミアに残れるように自分自身を磨かせざるを得なかったということもあり、苦労した分、力もついたという面もあるとは思います。
研究者に求められるマインドセットは「好奇心」
どうしても研究ばかりになってしまうのが私たち研究者ですが、好奇心を持って人と関わることの大切さを生かすことも必要だと思います。大学教員はやはり教育者ですから、学生たちへ教育を授けること、あるいは、一緒に研究を進めていくことが日々の仕事なのですが、研究に関しても、色々な方を巻き込んで広がりのある取り組みをすることが求められます。
生物系の研究は一般的にチームで行いますが、このチーム力を高める上では、企業や大学によらず、研究グループのチーム力だけでなく、研究のエコシステムレベルや国レベルで、ジェンダーやキャリアなど幅広いタイプの人が輝くことが理想でしょう。ですから、大学教員や研究者が、もっと好奇心を持って新たな人と関わり、自分が何を与えることができるのかということを認識するマインドセットを持つことが必要なのだと思います。
メンターやロールモデルは一人である必要はない
自分にとってのメンターは誰かと尋ねられて、多くの女性研究者が誰か1人に絞ることができないということを聞いたことがありますが、私もそうです。改めて考えても思い浮かびません。もちろん、自分よりも年長の先生方の研究の進め方や教育の方法、オーガナイズの仕方などを見て参考にしたり、この様にやりたいと思うことは日々あります。ただ、誰か1人の顔が思い浮かぶという感じではありません。
また、女性研究者のロールモデルも誰か1人である必要はなく、逆に大勢思い浮かぶぐらいの方がよいのではないでしょうか。頭の中で、女性の先生が思い浮かばないということが問題だと思うのです。学生が、あの先生みたいになりたい、あの先輩は企業でかっこよく活躍している、と大勢の女性を思い浮かべられるような状況が望ましいと思います。また、ロールモデルは、年齢も含めて多様な方々がいることが重要でしょう。
CRISPR研究との出会い
2020年にシャルパンティエ博士4とダウドナ博士5がノーベル化学賞を受賞されたのはCRISPR-Cas9という技術の研究功績によるものです。CRISPR-Cas9は微生物由来のタンパク質と小さなRNA分子によってゲノム編集を行うことができる革新的な技術で、生物の遺伝子の機能改変に使えます。生物系の全ての分野に応用できる基盤となる技術であるため、本当に世界を変えたと言っても過言ではなく、今後もまだまだ展開していきます。両先生は私と同世代で中心となってこの分野を牽引されており、後輩の育成も素晴らしく、研究の裾野がどんどん広がっています。正に、一つの時代がうまく開いたという感があります。
私自身はこのCRISPR-Cas9が公表される前に、ゲノム編集技術の研究を進めていました。当初はゲノム編集という言葉はなかったのですが、前段階の技術を開発していく中で、CRISPR-Cas9というすごいものが出てきたことに、同じ分野の研究者として、はっきりと驚きを感じました。
生物というのは、様々な細胞の中で色々なことが行われることで個体が生きていられるわけですが、その中でも遺伝子の機能が非常に重要です。個々の遺伝子がどのようなもので、どういう働きがあるのかを究明することが、生物学の大きな研究分野となっています。私は昔からそれを研究したいと思って、当初は、植物を生物材料に研究を行っていました。
遺伝子の機能を変える技術というものがあり、遺伝子の機能解明を行う研究者はそれに魅了されて研究を始めた方も多いと思います。どのような研究も、学生時代から知識・技術の両面で専門分野の勉強を積み重ねて、いよいよ研究室に所属して実験を開始することになります。私たちの世代では、学生時代に遺伝子をラボで取り扱えるようになったり、PCRが発明されたりなど、遺伝子研究に関する革新的な技術がどんどん発明されていきました。学生であった当時は「こんなことができるようになった!」といった感覚で皆わくわくしながら実験をしていました。
ゲノム編集が開発され、研究室でCRISPR-Cas9で色々なことが簡単にできるようになった際も、学生時代のその感覚を思い出しました。学生たちやラボメンバーにその「わくわく」を伝えると、「わくわく」がラボに充満してすごく楽しい雰囲気になるんです。「研究ってこんなに面白いんだよね」となるのが、すごくいいんですね。技術としても素晴らしいのですが、出会いの楽しさ、実験することの楽しさを広めてくれたという意味でも、大きな研究だと思っています。
私自身、遺伝子工学技術で何か新しいことをしたいと思っていたところに、このCRISPR-Cas9が発明され、それで「もっと面白いものを作れないか」、「CRISPR-Cas9でできないことができないか」と考えるようになったのです。CRISPR-Cas9はそもそも微生物が持っているタンパク質ですから、微生物をさらに探ればもっと面白いことができるのではないかという着眼です。それで、新しい技術を加え、CRISPR-Casの別のタイプ、Cas9とは違う性質を持っているゲノム編集技術を開発していきました6。これを共同研究しているのが夫で徳島大学にいる刑部敬史教授7なのですが、「わくわく」しながら一緒に証明してこられたことも、とても幸運でした。
産業創出につなげる研究を行う上でのアドバイス
私の研究が2022年に採択されたGTIE8の起業化支援プログラムでは、大学院の博士課程の学生や、ドクターをとってすぐの若手の研究者、企業から戻ってこられた方など、多様な方々が支援を受けています。工学系の研究室では、指導教員の先生からの支援も受けて、学生さんでも、自立してすぐ起業に結びつけて進めておられるようです。
起業を目標とし、かつ高度に専門的な分野では、学生自身がテーマを見つけるのはやはりなかなか難しいですから、大概は指導教員が提示したいくつかの研究テーマの中から選んで進める、あるいはディスカッションしながら、自分の意見も入れてやっていくというような研究の進め方になることが多いと思います。自分でテーマを発信して、それをすぐに産業に応用できる学生さんが少ないかもしれないというのは、内容が高度になればなるほど専門的な知識や技能が必要になってしまい、応用に至るまでにどうしても時間がかかってしまうからです。発信できないことがつまり発想できないという意味ではありません。どうしても専門性・経験が必要なのです。
とはいえ、やはり中には、学部生時代から新しいものを作りそれを産業に応用したいという学生もいます。研究開発に関して、どうしてもうまくいかない、よくわからないということがあると思いますが、それを恐れず、まず発信し、やってみるということが大切でしょう。その原動力になるのはやはり好奇心だと思います。やったことのないことですからチャレンジにならざるを得ないですが、「やってみたいな」、「面白そうだな」と感じる好奇心を持って、チャレンジして欲しいと思います。
「失敗の経験はとても大事です。くじけず、続けていきましょう。」研究室のウェブサイトで発信されているメッセージについて
学生だけの話ではなく、もちろん我々研究者も常にチャレンジをしています。
やったことのないことをするのは、面白いものです。やったことのないことというのは別に研究に限ったことではありません。チャレンジすることを楽しんでいただきたいのです。
楽しいというのが一番いいことで、先程「わくわく」について話しましたが、どんなに困難と思われる課題でも、解決することや原因を解明すること、あるいは新しい技術を開発する目的の中で「これは楽しい」ということをぜひ経験してもらいたいんです。1回楽しくなると研究にハマるんですよ。そして、そのような感覚が、体験したその人の発信によって、研究でも、開発でも、さらには、それ以外の事柄でも、すごく大きな流れができてきます。社会に向けて色々な人を巻き込んだ波及効果も生まれていくと思います。このようなエコシステムを作っていくことで、資本が動くことがあるかもしれません。いろんな面で夢が叶ってくることもあるでしょう。そうした経験をしてもらいたいのです。まずは好奇心を持ってチャレンジすることと、そして楽しむということ。この二つですね。
当然ながら苦労や失敗もあるでしょうが、それすらも楽しむぐらいに、この二つを揺るぎなく実践してほしいです。もちろん、ちょっと辛い時や怖い時に一旦休憩するのは問題ありません。あくまで自主的に研究しているのですから、自分のタイミングで休憩を取るなどといったやり方をしてもらえるといいと思います。
楽しいことは共感を呼びます。共感してくれる人を増やせば、味方が増えます。ぜひ楽しみましょう。
研究室での研究テーマの選び方と、挫折を乗り越えるためのアドバイス
先ほど申し上げたとおり、バイオ系で学生自身が全てを決めて発信することは簡単ではなく、研究テーマは、まずは私の方でいくつか候補を出してそこから選んでもらっています。初めて見る専門用語だらけのテーマが一体何なのか分からないような状況で学生自身にテーマを一から決めさせるのではなく、「キーワードにはこんなものがあるよ」などと提示した上で、学生自身の感性に任せて選んでもらっているのです。こちらで指定するのではなく、学生自身に選んでもらうようにしているのは、やはり、自分が選んだということ、自分でこれが楽しそうだなと思ったという実感が一番大事だからです。
楽しいと思い、好奇心を持って研究を始めた人でも、挫折を味わうことはあります。私自身の経験から言えるのは、挫折した時に大切なのが「続ける」ということなのです。そして自分自身で選んだテーマであれば継続しやすい。嫌になってすぐに辞めてしまう人もいますが、迷い込んでしまうタイプの学生には、「諦めずに続けなさい」と伝えています。今までやってきたことを続けることで、いつの間にか力になり、ある時急に視界がひろがり、別の視点からのアプローチや、困難だったこともできるようになってくる。続けることで世界が広がってくる、と。
研究テーマを選ぶ時、結局のところ肝心なのは続けられるかどうかです。最後の最後まで続けられるか、あるいは、どのような結果が得られるかは、学生自身にも分からないし、実は指導する側の私たちにも分かりません。だからその点については学生に問い掛けながら、様々なトレーニングをしていきます。好奇心や、楽しむということを含めて、継続していけるかどうかも、テーマ選択において大事なことなのです。
学生の皆さんと一緒に研究をする際に一緒にテーマ選択をする大学教員として、「この学生にはこのテーマが合っている」ということは、私たち指導者側には分かりません。もちろん学生の皆さんも自信を持っているわけではありませんが、いくつかあるテーマの中から自分でこれぞと思うものを選んでもらっています。そして実際に始めると、だいたいの学生は面白いと感じるようになっていくので、このやり方がいいのだと思います。そして学生たちはある時、急に成長して、世界がガラリと変わるような体験をしてくれます。そういったことが大学教育だと思っています。
脚注:
1 刑部先生は2016年から2023年まで計7回、執筆論文の過去10年の被引用回数や研究分野への影響力等が評価され、Highly Cited Researcher in the field of Plant and Animal Scienceに選出されている。Highly Cited ResearchersTM はClarivateTM 社の登録商標。
2 査読付きオープンアクセスジャーナルFrontiersに発表された論文「Response of plants to water stress」(2014年)の被引用数は1700を超える。
3 Scientific Reportsに発表された論文「Optimization of CRISPR/Cas9 genome editing to modify abiotic stress responses in plants」(2016年)など。
4 エマニュエル・シャルパンティエ博士(Emmanuelle Marie Charpentier、1968年12月11日 - )。フランス出身の生物学者。マックスプランク感染生物学研究所所長。
5 ジェニファー・ダウドナ博士(Jennifer Anne Doudna、1964年2月19日 - )。アメリカの化学者、生物学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。
6 CRISPR-Casシステムの中から機能の知られていなかったCRISPR-Cas Type I-Dを同定し、植物でのゲノム編集や、海外特許に抵触しないヒト細胞でのゲノム編集を可能にするゲノム編集ツール CRISPR-Cas TiDを開発した。TiDの開発研究に関する東京工業大学制作の動画「TiDで挑む 新しい生命科学」で概要を知ることができる。
7 刑部 敬史(おさかべ けいし)。生物学者。徳島大学生物資源産業学部教授。専門は分子細胞生物学、遺伝子工学、遺伝学。
8 Greater Tokyo Innovation Ecosystem(GTIE:ジータイ)。首都圏の複数の大学が東京都等の自治体、民間機関とともに大学発のスタートアップを支援するプラットフォーム。『世界を変える大学発スタートアップを育てる』をビジョンに掲げます。