渡部雅浩先生へのインタビュー - Share Your Story

解くべき疑問は自然の方にあり、研究者はそれに答える。気候自体がどんどん変わってくるので新しい疑問が出てくる。 

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渡部 雅浩(わたなべ まさひろ) 教授

東京大学大気海洋研究所気候システム研究系教授

渡部雅浩先生へのインタビュー - Share Your Story

[取材・編集] 研究支援エナゴ

日本の気候モデリング研究を牽引しつつ、世界中が気候変動の科学的見解として参照する国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第1作業部会評価報告書の主執筆者として活躍されている渡部雅浩先生。2024年5月には、科学技術に関する研究開発、理解増進等において顕著な成果を収めた研究者を顕彰する「令和6年度 科学技術分野 文部科学大臣表彰(研究部門)」を受賞されました。


この20年の間に自然は変化し、人間活動が引き起こす気候変動のエビデンスとなるデータは増大。膨大なデータを活用して研究成果を出すには、研究者独自の視点が必要になるとお話くださいました。また、「競合」と「協調」のバランスをとりながら、研究者同士の手柄争いではなく、世界的な課題に対して一丸となって答えを出すために国際研究を進めるという姿勢で取り組んでこられたとのお話が、とても印象的でした。


アーリーキャリアの若手研究者からミドルキャリアの中堅研究者まで、幅広い層の研究者の背中を押してくれるアドバイスが詰まった本インタビュー。気候変動研究に興味のある方はもちろん、すべての研究者に最後まで読んでいただきたい渡部先生へのインタビューの全文を書き起こしてお届けします。

気候変動の研究分野を選んだ経緯

東大で博士の学位を取ったのが20年ちょっと前の2000年なのですが、その当時も一応、地球温暖化について騒がれてはいました。僕自身は、異常気象の起きる原因やグローバルな気候の自然変動のメカニズムを研究テーマにしていたんですね。そこから、だんだん温暖化研究や気候のシミュレーションモデル開発などにも携わるようになりました。


自然の方が変わってきたわけですね。20年前だと観測データがそこまで明確に温暖化の証拠を示していなかったため、まだまだ温暖化にはあまり興味を持たず、エルニーニョなどの自然変動に注目する大気海洋の研究者が多かったんですが、この20年で色々なところに温暖化に伴う気候変動の証拠となるデータが出てきて、明らかにそれは変わりましたね。僕自身の専門は自然という現実を理解することを目的とする自然科学(フィジカルサイエンス)ですから、現実が変わればそれに答えるのは当然だと思っていましたので、少しずつ、いわゆる地球温暖化の研究に軸足が移ってきています。

研究のモチベーションとインスピレーション

今の話ともつながりますが、やっぱり自然科学って自然が対象ですよね。解くべき疑問というのが自然の方にあってそれに答える。そこで一番面白いと思うテーマを見つけて研究してきたというのが正直なところです。


例えばIPCC1のレポートなどに書いてあるような気候の将来予測というのがあります。全部シミュレーションベースですけれど、1回予測すればその通りになるかというとそんな訳はなく、シミュレーションをやったそばから、気候の変化が想定を外れてきたりもします。例えば去年(2023年)もそうですが、世界全体の気温が非常に上がりましたよね。なぜ1年で急激に上がったのか、エルニーニョの影響があったにしろ、ちゃんとした答えがまだ出てないんですよ。気候自体がどんどん変わってくるので新しい疑問が出てくるわけですね。こうしたことが日々の研究のモチベーションになっています。

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インスピレーションって難しいですよね。研究者はそれぞれアイデアをどこかから得るわけですが、僕は海外の研究者といろいろ一緒にやることが好きで、顔をつきあわせて議論をしていく中で新しいアイデアが出てくる、ということはよくあります。

海の水温パターン変化を調べる国際共同研究

例えば最近やっている仕事の一つとして、太平洋の熱帯域で実際に何が起きているのかを解明する国際共同研究プロジェクトのワーキンググループを立ち上げました2


元々の始まりはというと、気候のシミュレーションで将来こうなると言われてきた海水温のパターンと、最近30~40年で観測されたパターンが、基本的に逆向きになっているということです。それがすごく不思議で僕自身研究してきたのですが、海外でも不思議に思って研究をしている人たちがいて、そういう研究者たちが集まる機会がありました。これは結構大きい問題だから個別にやるのではなく、国際的にチームを作って少なくとも次のIPCCの報告書までには答えを出しましょうという話になったのです。それが一昨年始まった新しいプロジェクトです3


こういうプロジェクトは、タイムラインを決めて研究はするのですが非常にダイナミックで、手柄争いとかそういう意識は全くなく、あくまでもチームとして答えがちゃんと出ればそれでいいという姿勢でみんなが取り組んでいるのがエキサイティングですね。

コラボレーションがおもしろい

多分、サイエンスの世界ではどこでも「競合」と「協調」の両方が必要だと思います。ただ、僕がいる気候科学のコミュニティと他の研究分野とでは、多少事情が違うところもあります。


例えば素粒子の研究におけるCERN4、あるいは生命科学の研究におけるヒトゲノム計画5などのように、本当に世界が一つになって取り組まなければできない大きなプロジェクトというものがありますよね。気候科学の分野でも、もちろん気候変動の問題に関してはグローバルに協力するのですが、そのためのシミュレーションモデルは国ごとに作るんです。色々な理由があるのですが、世界で単一のモデルを作ろうということにはなっていない。その状況は真鍋先生6の時代から半世紀以上、ずっと続いています。

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そういう意味で、道具としてのシミュレーションモデルの開発では競合します。お互いに、より現実を表現できるいいモデルを作ろうとして競合するのですが、そこから得られる部分に関しては協調するんですよ。モデルは違っても、同じプロトコル(計算手順)で将来の温室効果ガスの変化シナリオを共通化してシミュレーションを実施し、そのデータをいくつかのデータセンターに置いて、世界中の研究者が自由に使えるようにする、といった協調ですね。気候科学の分野では、そうした競合と協調のバランスをうまく取りながらやってきている、というところがあります。

キャリア上、苦しかった時期

苦しかった時期は大きく二つありました。一つは大抵の研究者が通過する、博士号を取る直前頃の時期です。将来、アイデアが枯渇しないかなどという様々な心配があり、自分が研究者として本当に独り立ちできるかについて不安がなかったとは言えません。


もう一つは、大学教員になってから数年間の時期です。僕は幸いに若くして大学准教授になったのですが、その後の数年間が実は結構しんどくて、自分1人で研究するのではなく、グループで、しかも急に学生を教えながら研究室を主宰する形になったのです。それまでと違い、「学生をどう指導しようか、どういうふうにテーマを与えようか」といったことを考える必要がありました。大学の様々な日常業務をこなしながら、自分の専門分野を広げつつ学生と一緒に研究を行うのが楽しくもあり大変でもありました。ストレスから胃潰瘍になったり、インフルで倒れて解熱剤を打ちながら講義したり。まあ、その頃は今より未熟だったのでしょうね。

国際ジャーナルへの初投稿

最初に国際ジャーナルに投稿したのが学部の卒業論文なので、1996年でした。それは今から思えば完全に練習作ですね(笑)。本格的にちゃんと引用してもらえるような論文を出したのは、3年後に修士論文の内容を2本の論文にしたときが最初でした。


研究のコンセプトを英語で表現するのが問題だったかというとそのように感じたことはなくて、むしろ、日本語で表現できないと英語にしようもない。僕は別に英語のネイティブではありませんから、頭の中では日本語で考えているわけです。英作文のスキルよりも、ロジックやストーリーラインがどれだけちゃんとできているかで、論文が全然書けないか、スムーズに書けるかが決まると思います。

ミッドキャリアからも相談される国際共著論文の書き方

アーリーキャリアの研究者たちや、時にはミッドキャリアの研究者たちからも、国際共著論文をどう書くかが分からないという相談を受けることがあります。


国際共同研究は非常に重要じゃないですか。博士号を取るまでは自分と指導教員だけで論文を書けたわけですが、One of themではなく自分が筆頭著者になって論文をまとめるというのはなかなかハードルが高いみたいです。別にマニュアルがあるわけでもないですから。そういう悩みを抱える人を、どうやって助けてあげられるかなということは考えてきました。

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例えば、かつて私の研究室のポスドクで、その後筑波大学の助教になった知り合いがいます。そのポジションには、「国際」という冠が付いていて、採用されると最低2年間は海外に行かなければならないという条件があります。その間に自分でネットワークを作って論文を書いて戻ってきてくださいということです。そういうやり方は確かにあると思います。

若手研究者が海外に出なくなった問題は解決されていない

日本の若者が海外に行かなくなったということが一時期問題視されましたよね。今その状況が改善したかというと、まだそんなに満足なレベルにはなっていないと僕は思っています。


少なくとも僕の分野はシミュレーションが主体でフィールドには行きませんから、結局海外に行く時は大体会議なんですよね。いきなり若い人が会議で誰かとすごく仲良くなって意気投合して、共同研究を始めるということはそうそうないですね。ですから半年でも1年でもいいので、まず実際どこか海外に行って研究するということが重要です。研究室の学生たちも半ば追い出すような形で海外に行かせています。僕のところで最近博士の学位を取った2人の若手研究者は、この4月から1人がドイツで、もう1人は韓国で研究をしています。


現在、日本に来る留学生の9割くらいは中国人学生ですよね。中国や韓国では多くの大学で、将来大学のポジションが取りたければ、最低2~3年間は海外で研究することが条件になっていたりします。そうなると、いやでも外に出ますよね。


日本の場合、海外での研究経験が重視されないことはありませんが、国内でまがりなりにも研究ができれば生きていけるという考え方もあるように思います。昔は確かにポストも予算も少なかったので、多くの研究者が欧米に出ていきました7。ところが、一生懸命国内で研究基盤を作って研究予算やポスドクのポストを増やした結果、若手研究者が日本国内から出なくなってしまったという、本末転倒の結果になってしまった。ミッドキャリアで大学にポジションがある先生だったら、もっと積極的に国際共同研究加速基金などバイラテラルの研究ファンドを使うべきだと思います。

若手研究者はこまめなアウトプットを習慣に

いわゆるアーリーキャリアサイエンティスト全般に対して、僕は一生懸命エンカレッジするようにしていますが、若手研究者といっても一括りにはできません。例えば博士号を取る前の学生なのか、博士号をとって数年間ぐらいの、日本では多くの場合30代前半の研究者なのかによって、立場も悩みもだいぶ違うと思うんです。

 

学生の場合は、とにかく自分の研究に集中して学位を取りなさいということしか言いようがありませんが、問題は学位を取った後ですね。

 

僕も自分のプロジェクトで、いわゆるポスドクと何人も一緒に仕事をしていますが、ポスドクの年代の若手研究者は、これから自分のビジョンを広げて、かつ独り立ちしてやっていけるようにならなくてはいけない時期です。できるだけ色々なものに挑戦しながら、かつ、生産性も落とさないということが要求されます。これがなかなか難しいんです。

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一般論ですが、日本の学生は結構完璧主義者が多くて、論文をあまり書こうとしない傾向があると思います。要は本当に納得するまで論文にしないという姿勢です。これは本来、科学者としてまっとうな姿勢なんですが、今の世界の潮流からすると駄目なんですよ。中国とかアメリカとかでは、もう山のように論文が出ていますが、とにかく途中段階でもいいから、まとまるものは論文にしなくてはいけないんです。それを積み重ねて何年か続けていくうちに、自分のキャリアは結果としてできてくる。ですから「とにかく論文をちゃんと書きましょう」と、いつも言っています。


「この一本の論文で全部答えを出そう」と考えると、いつまでたっても書けません。10ある問いのうち2か3が答えられたら、まずそこで一本書く。世界中の研究者は大体そうやって積み重ねてどんどん論文のプロダクションを増やしていくものですよね。そういうスタイルを早めに身につけるというのは大事なことじゃないかなと思います。

自分の研究のアピールはいつから始めるべき?

あくまで自分の専門分野の経験上ということですが、自身の研究について広く社会にアピールし始めるのは、研究者としてのスタンスが確立してからでいいと思います。他分野の人や、一般の方、子供たちなど、どれだけ多様な人たちに対して自分たちの研究を話す機会があるかで、研究をアピールする能力が向上するかどうかが決まると思うんですね。僕自身も一般講演会などのアウトリーチ活動は30歳を過ぎてから始めました。専門家に対してプレゼンテーションをするスキルは学生時代から求められますが、早くから社会にアピールするスキルを持たなければと思う必要はないだろうと思います。逆に、ミッドキャリアの研究者は積極的にそういうアウトリーチ活動を行った方がいいでしょう。


昔から特に自然科学って、正確に書きたがる先生が日本には多くて、一方で分かりやすくしようとするとそこはトレードオフなんですよ。大学教員は、わかりやすく発信する訓練を受けていないんです。どういうところで正確さを多少犠牲にしてわかりやすくすることを優先すべきか。僕もちゃんとそういうレクチャーをどこかで受けられたらよかったなと思います。

海外への発信が苦手な日本

ただ一方で、大学や研究業界だけの問題ではなくて、日本のメディアも、科学面か社会面で科学を取り上げはしますがあまり深堀りをしないんです。海外のメディアって、例えばGuardianやBloombergなんかは「こんなことまで書くの!?」というくらい、科学的テーマをかなり深堀りして長い記事にします。そういう深堀りする体制が日本のメディアにはあまりないように思います。


3年前ですか、IPCCの第6次評価報告書(AR6)8が出た後、「温暖化が進んだ時に地球上の雲がどういう風に変わるか」という報告書に含まれていた評価について、Bloombergでものすごく長い解説記事が出たんです。Bloombergから個別にコンタクトがあって、例えば、気候のシミュレーションモデルでどうやって雲を計算しているのか?とか聞いてきて、そういう専門的なことを、日本の新聞ではまず記事にできないんじゃないかと感じました。

サイエンスコミュニケーションという課題

気候変動リスクコミュニケーションを専門にされている江守 正多9さんとは、江守さんが東京大学総合文化研究科の博士課程で大気―陸面のモデリング研究をされていた頃からずっと付き合いがあります。社会に気候変動の科学的な事実をどう伝えるかを専門にされています。江守さんみたいな立場の人がいてくれるから、僕らはそこまでメディアからあれこれ聞かれないです。


サイエンスコミュニケーションについては、必ずしも科学者がいつもやる必要はないと思います。NGOをはじめ、研究者と一般の方との間に入る団体が多様になっていますから。僕らもそういうところと色々話をしながら、プレスリリースを出す代わりに、例えば先にNGOのWeb上で解説を出すとか、そういうこともやろうとしています。

特に印象に残るIPCC AR6執筆作業

最近で一番勉強にもなり、良い経験になった国際共同作業は、IPCCの報告書執筆作業ですね。AR6の主執筆者として2018年から2021年まで関わりました。


IPCCの報告書は、章ごとに執筆チームを組むのですが、各チームは10人から15人程度の多国籍の研究者で構成されます。そもそも何を書くべきかというところから始めていくわけですが、あくまで客観的に、現時点での最も確かな科学的な評価を行うという前提を全員が共有していました。建設的な議論を4年間続けて最終的に報告書が出ると、満足感も非常に大きかった。そしてその後、自分で国際チームを作り何か始めなければいけないという時に、この経験が非常に参考になりました。

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IPCC報告書の執筆者に選ばれた経緯

IPCCの執筆者の候補は、いろいろなところからの推薦を各国政府がまとめて、IPCCに候補者のリストを出すんです。日本では外務省が提出窓口になり、そこに環境省や文部科学省や経済産業省など、いろいろな省庁が推薦者のリストを提出します。


推薦される研究者は、その分野で大きなプロジェクトをやっているとか、もう既にある分野のリーダーである人たちですね。研究成果を踏まえた上で推薦され、執筆者になるという形です。ただ、最近では執筆陣のダイバーシティをIPCCが重視するようになっていますから、ミッドキャリアでも可能性はあります。

気候モデルによるシミュレーションデータの扱い

気候のデータに関しては、この20年ぐらいで状況が大きく変わりました。昔に比べるとデータは遥かに大量で、しかも誰でも使いやすい形になっています。


IPCC報告書でも使われる各国の気候モデルによるシミュレーションのデータアーカイブも、学部生であってもWebから落として使おうと思えば使えます。そういうインフラを維持してくれている研究グループがいるので、そうした人々には感謝すべきですが、そのデータをどう使うかが重要になります。世界中の誰でも同じデータが使えるのであれば、科学研究として誰が優れた成果を出せるかというのは、そのデータをどう使うか、どう見るか、どう組み合わせるかにかかります。ですので、若手研究者がそういうデータを使う時には、自分ならではの独自の視点があるかどうかを問わなくてはいけません

ミッドキャリアの研究者はデータを作って貢献して

先ほど、データインフラの維持について触れましたが、観測データについては気象庁やNOAA10などがきちんと更新してくれていますが、シミュレーションのデータに関しては、気候モデルを作る研究者たちが、シミュレーションを実施し、出力のデータを使いやすく編集してWebから公開するという長いプロセスを経て利用可能になります。


そうした作業を一切自分で行うことなく、他の研究者の作ったデータを解析して論文を書くということをミッドキャリアになっても続けるというのは良いことではないでしょう。気候科学のコミュニティというのは、モデルを作るところを含めて全体なわけですから、ミッドキャリアになったら、研究コミュニティに対して自分がどう貢献できるかを同時に考えなければなりません。モデルやデータを作る側も少しはやってみてはどうですか、と言いたいですね。

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モデルやデータを作るプロセスは1人ではなくチームで行うことになるため、必ずしも自分自身の論文には繋がりません。別に滅私奉公しろという意味ではありませんが、それらを作るプロセスに参加することが、自分の研究者としてのビジョンを広げる役に立つと考えてもらえるといいなと思います。


例えば、30年間ギブ・アンド・テイクの「テイク」ばかりやってきた研究者が、50歳になってから「ギブ」はできないと思うんですよ。自分の立ち位置を確立するまでの若い時なら、他人が用意してくれたモデルやデータで研究をするというのは仕方ないかもしれませんが、どこかの時点から、ギブ・アンド・テイクのバランスをちゃんとしていくことが大事でしょう。

データが膨大になった現在の学生はどのようにデータを使用しているか

20年前までは、データをどう作るか、モデルをどう作るかが焦点だったんです。というのも、まだツールがない時代だったから。


僕らが、気候のモデル開発やIPCCのためのシミュレーションに使用しているコンピュータは、JAMSTEC11にある地球シミュレータ12です。この20年来、プロジェクトの中では、東京大学と、JAMSTECと、あと環境研13が組む形でやっています。


データサイズは非常に大きくなっていますが、必ずしも膨大な高解像度のメッシュの細かいデータを使わなくてもいいのです。もちろん、台風の予測といったテーマなど、そのようなデータを使うことが必要なケースもあります。僕の研究室で大事なことは、シミュレーションデータを作るためのモデルを自分たちで持っているということなのです。例えば大学院生だったら、扱える範囲のリソース(コンピュータの計算資源やデータディスクなど)で、自分で気候モデルを使って数値実験をするといった研究をしています。

他人の論文の査読は若手にとって良いトレーニング

研究コミュニティへのサービス・奉仕ということで言えば、若手の研究者がまず受けるのが論文査読依頼です。僕自身、昔は査読依頼を絶対断らないというルールを自分に課していて、今でも自分が指導する学生に対しては、「査読依頼が来たら、できるだけ受けなさい」と伝えています。

 

査読はいい経験ですよね。他人の書いたものを客観的に評価するわけですから。「自分が次に論文を書く時に査読でこういうところが突っ込まれるかな」など、わからなかったところが見えてくるという意味では、若いうちにする査読はサービスというよりむしろトレーニングの一種かと思います。

 

そこから先のジャーナルの編集者や様々な委員などはサービスになりますので、自分の労力と時間の許す範囲内でできるだけやるようにしています。

効果的な環境問題対策を進める上での科学者の役割

環境問題について科学者が果たせる役割には、大きくは2つあると思います。


まず一つは、僕自身も行っていることで、施策を検討する省庁の審議会や委員会などに呼ばれて意見を述べることです。政治家に直接インプットはできませんが、法案の資料を作る官僚の方たちとは意見交換ができるので、行政側に、今何が大事かを伝えることです。

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もう一つは一般社会に対する発信です。SDGsや脱炭素などに関して、昔言われていたように、「割り箸を使うのをやめましょう」などという個人の努力でどうにかなるレベルではもはやありません。トップダウンで、例えばエネルギー政策を転換するなどということをしないと実現不可能であることは明らかなわけです。


このような現状で、科学者がパブリックコミュニケーションを通じてできるのは、聞く人の意識を変える役に立つことだと思います。日本ではデモも少ないですし、一般市民のアクションが政治を変えた良い例はあまり思い浮かばないですが、それでも一般の人たちの意見がメディアやSNSなどを通じて、少しずつ何かを変えるということはあると思います。ですから、人々にできるだけ正しい科学知識を伝え、さらに、生活レベルでも何か助言ができればいいでしょう。

気候変動への適応や緩和に対する渡部先生の研究の役割

日本はIPCCの報告書に頼らずに独自にナショナルレポート14, 15, というのを出しています。先進国の多くが同様の報告書を作成しているのですが、国内レベル、都道府県レベルでの将来の気候変化がどうなって、それにより水産や農業といった各分野にどのような影響が出るか、またどう適応すればいいかという報告がまとめられています。


僕も作成に関わっていますが、それらの報告書は5年ごとにアップデートされていきます。気候変動適応のため、地方自治体や企業レベルなど個別にやらなくてはいけないことがありますが、そこにどれだけ使える情報を届けられるかが、今、大きな問題になっています。僕自身が研究としてやっているグローバルな温暖化の予測は、その情報の一番のベースになります。スケールをグローバルからどんどん落として、日本の都道府県レベルまで持っていくわけですね。これが一つ、適応に関して自分の研究が果たしている役割です。


IPCCで僕が関わったのは、自然科学的理解と予測に関する第1作業部会ですが、気候変動の緩和に関する第3作業部会とは実は接点がそれほどありませんでした16。とはいえ、脱炭素を実現する上で何にどのくらいのコストがかかるかといった推定をする際に、やはり自然科学の予測情報が必要になります。そうした意味で、ベースの情報を提供する側として、気候変動予測の不確実性を狭めることが、緩和の対策を決めていく上で役には立っていると思っています。

気候変動に関して今後注目される研究は

ちょうど去年の終わりごろから次のIPCC報告書に関する議論が始まっています。報告書を何年に出すかはまだ公表されていませんが、今では極端気象17もさらに増えていて、地球全体の平均気温上昇がまもなく1.5度になります。前回のIPCC報告書は、パリ協定の1.5度目標を実現するにはどうすればよいかというトーンで作っていたわけですが、それがもう間に合わなくなるかもしれないというのが、次のレポートまでの数年間だと思います。


ですから、一つのポイントは1.5度目標がもう手遅れなのかどうかを評価することです。これは非常に大きな問題だと思います。極端気象に関しても、これだけ地球全体の気温が上がれば、さらに熱波が増えることはほぼ間違いありません。山火事や、日本の場合では豪雨などといった災害のリスクがどこまで増えていくかを、もっと精度よく計算して予測するというあたりが注目されていくだろうと思います18

自分にとって一番大きな問題を研究テーマにして

僕が博士の学位を取った当時は、自分が将来ここまでいわゆる地球温暖化に関わるとは思っていませんでした。自然や社会が変わるスパンは様々なので読みにくいのですが、全然違う分野の先生方と話していても、若い頃に取り組んでいた研究テーマが20年経ってどう発展するかは当時の自分たちには全然わからなかったと言うんですよ。これからも多分そうだと思うんです。

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今ホットな研究テーマにみんなが向かっていくっていうのは、何と言いいますか、見てるホライゾンが短いように思います。もちろん、学位を取らなければいけない時はしょうがないですよ、1年先や2年先に論文を書かなければいけないわけですから。だけど並行して、10年経ったらどうなっているだろうと考えた時に、今はそこまで注目されていないような研究がクローズアップされる可能性は十分あると思うんですね。ですので、そこは予測できないと思い割り切って、自分にとって一番大きな問題は何かとか、一番取り組みがいがある分野は何かを考えて、10年先の自分のキャリアを目指すとよいのではないかと思います。こんなふうに年長者が偉そうに若手に説教するのは、あまり好きじゃないのですが(苦笑)。


自分のやりたいことがそんなに明確に見えていない若手研究者も多いと思うんですね。僕の経験上、そうした場合にするべきことは、なるべく自分と環境の違う人、あるいは少し分野がずれている人など、いろんな人と会って話す機会を作ることじゃないかなと思います。例えば新しいアイデアを得ようとしても、同じようなことをやっている数人のグループで研究を続けているだけでは、違う視点というのは出てきませんから。

アメリカの大学と日本の大学の違い、インターディシプリン

アメリカの大学と日本の大学の違いを一概に言うことはできません。一口に日本と言っても、昔ながらの大講座制のところもあれば、かなり広くインターディシプリンの(学際的な)グループを作っているところもありますので。


例えば、僕が今いる東京大学大気海洋研究所は、日本で気候のモデルを30年くらい開発してきた、アカデミアでは唯一の組織です。それが可能だったのは、大気の専門家、海洋の専門家、極域の氷の専門家、陸の専門家、といった様々な専門家がここに揃っていたためです。そして、そうした専門家たちが協力して一つのモデルを作るために、フランクに議論できる環境をずっと作ってきているんですね。それが良かったと思っています。


もちろん、アメリカにもヨーロッパにも同様の機関はありますが、こういう学際的な組織を作るのはなかなか難しいのです。ただ、一度できてうまく機能すれば成果が出てきます。成果が出るからこそ、大気海洋研究所も30年以上その研究環境を維持できています。逆に言えば、少し違う分野の専門家同士がフランクに議論できる場がないと、気候のモデルみたいなものは開発できていなかったと思います。

日本には「気候変動」を包括的に教えられる体制が必要

実は、日本の大学に「気候学部」は存在しないんです。従来型、昔からの伝統は簡単には変わらない。例えば、地球科学とか、大気科学とか、気象学、こういうキーワードであれば何かしら学科がある。そこに先生が一人か二人いて教えている状態です。今これだけ気候変動がグローバルな問題になっているのに、大学組織としてきちんと気候変動を色んな視点で教えられるところが日本には存在しないんです。これは非常に大きな問題です。


地方大学の体力が削られているので、気候変動について包括的に教えるとなると、東京大学や京都大学のような規模の大きな大学か、あるいは、国の研究所とバーチャルに組んで何か新しく体制を作るということをしないと、無理だろうなと思います。もちろん、各地方大学にも気候分野の研究者がいるのはいるのですが、拠点として10人、20人いるかというと、そんな機関はないのです。

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東京大学は、気候に関わることをやっている研究者は多いのですが、ネットワークが作れていないことが問題だと思っていました。水分野で沖 大幹19という先生がいるのですが、一昨年、沖さんと、僕と、あと何人かで一緒になって、「気候と社会連携研究機構」20を立ち上げました。ここに、今70名以上の東大の教員が加わっています。ここには、自然科学だけではなく、社会科学、人文学、医学や農学など、いろいろな分野の先生が含まれていて、こういう組織から少しずつ、新しい、時代に即した教育の仕組みができないかなど、試行錯誤している段階です21

日本の学術研究を発展させるために社会に求められること

「社会」というのが、ファンディングエージェンシー(研究資金供与機関)を含む政府・行政側か、あるいはメディアや一般社会かでだいぶ違うと思うのですが、僕らのような自然科学の研究分野って、国からの予算がないと何もできないです。そうすると問題は、科学研究の予算だったり、予算配分の考え方とか、その辺りになるかなと思います。


もちろん、国そのものが貧乏になっていく中で、科学予算だけ増やすというのが難しいことは誰しもわかります。問題は、ずっと日本が取ってきた「選択と集中」の考え方を続けるのか軌道修正するのか、その辺りじゃないかなと思うんです。今でもやっぱり選択と集中の考え方が続いていて、例えば情報系はAIだとか、そういうところはものすごくファンドが付く。

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でも、特に問題が複合的になってくると、選択していないところから次のサイエンスが出てきたりするんです。そういう可能性が高くなってくると思うんです。そうすると、あまり選択してばかりというのは、結果的に将来の新しい学術の芽を育てないことになると僕は見ています。ですので、選択と集中のやり方は緩和するべきだろうと思います。


ただ一方で、理学の研究者って宣伝が下手なところがあります。例えば大きなプロジェクトの予算を取りに行く時には各分野の競合になりますが、アピールが下手だと取れないんですね。それを国のせいにして、「何でうちの分野に予算をもっとつけてくれないんだ」と言うのは、それはアピールする側のスキルの問題でもあると思うんです。一方だけを責める形にはできないなと思います。

 

 

脚注:

1 国連気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change: IPCC)。人為起源による気候の変化に関し、包括的な評価を行うことを目的として国連環境計画と世界気象機関により1988年に設立された国際組織。
2 Climate and Ocean – Variability, Predictability, and Change: https://www.clivar.org/TROPICS 
3 CLIVAR Climate Dynamics小委員会の元に立ち上げられた国際共同研究グループTROPICSによる同プロジェクトの研究結果は「Possible shift in controls of the tropical Pacific surface warming pattern」という1本の論文にまとめられ、学術雑誌Natureで2024年6月12日に出版された。
4 欧州原子核研究機構(Conseil Europeen pour la Recherche Nucleaire: CERN)は、ジュネーブ郊外にある 世界最大規模の素粒子物理学の研究施設。
5 Human Genome Project。ヒト細胞の核内にあるDNAの全塩基配列を解読することを目的に1990年に米国政府が発足した計画で、2003年に完了報告がなされた。
6 真鍋 淑郎(まなべ しゅくろう、1931年9月21日 – )博士。プリンストン大学上席研究員。気候変動についてシンプルなモデルを作り、世界で最初に地球温暖化の数値計算を行った。2021年、ノーベル物理学賞授賞。
7 第二次大戦後に日本の気象学者が米国に渡り、現地で先駆者として活躍した系譜が米国気象学会誌にまとめられている。https://journals.ametsoc.org/view/journals/bams/74/7/1520-0477_1993_074_1351_mftuot_2_0_co_2.xml?tab_body=pdf
8 IPCC第6次評価報告書(the Sixth Assessment Report: AR6)。IPCCが2021年から2023年にかけて公開した気候変動に関する評価報告書。
9 江守 正多(えもり せいた)。東京大学未来ビジョン研究センター教授(総合文化研究科 客員教授)、国立環境研究所地球システム領域上級主席研究員(社会対話・協働推進室長)。IPCC第5次、第6次評価報告書主執筆者の一人。
10 アメリカ海洋大気庁(National Oceanic and Atmospheric Administration: NOAA)。
11 国立研究開発法人 海洋研究開発機構: https://www.jamstec.go.jp/j/
12 海洋研究開発機構が運営するマルチアーキテクチャ型スーパーコンピュータ。
13 国立研究開発法人国立環境研究所: https://www.nies.go.jp/
14 日本の気候変動2020。文部科学省と気象庁が協力して作成する、日本の気候変動に関する観測事実および将来予測をまとめたレポート。
15 気候変動影響評価報告書。気候変動適応法第10条に基づき環境省が作成する、気候変動影響の総合的評価の報告書。
16 IPCCの報告書は3つの作業部会=ワーキンググループによる報告書で構成されており、それぞれの部会が評価するのは、第1作業部会(WG1)が「自然科学的根拠」、第2作業部会(WG2)が「影響、適応、脆弱性」、第3作業部会(WG3)が「気候変動の緩和」。
17 日最高気温が35℃以上の猛暑や1時間の降水量が50mm以上の強い雨など、特定の指標を超える極端な気象現象の総称。
18 AR6では、平均気温の上昇が1.5℃になると、50年に1度という極端な高温は8.6倍に、10年に1度という大雨の頻度は1.5倍になるとしていた。(出典:地球沸騰化!我々が直面している地球温暖化―世界で今起きていること<気候変動編>) https://www.enago.jp/academy/thought-piece-on-global-warming/
19 沖 大幹(おき たいかん)。東京大学 総長特別参与、大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授。2024年「水のノーベル賞」とも呼ばれるストックホルム水大賞、紫綬褒章。
20 2022年7月に東京大学内に設立された連携研究機構。東京大学の沖 大幹教授、渡部 雅浩教授、羽角 博康教授、芳村 圭教授、瀬川 浩司教授の5名の主導により設立された。 https://utccs.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/気候と社会連携研究機構パンフレット.pdf
21 同機構の立ち上げに携わった研究者が編集委員となり、気候変動の原理から温暖化対策、持続可能な開発までを体系的に解説し、「わたしたちにできることは何か」を提言する書籍『気候変動と社会:基礎から学ぶ地球温暖化問題』が東京大学出版会より2024年7月30日に刊行された。

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渡部 雅浩(わたなべ まさひろ)教授

1971年生まれ。神奈川県出身。


[経歴]
1995年3月 東京都立大学理学部地理学科卒業
1995年4月 東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻修士課程入学
1997年3月 東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻修士課程修了
1997年4月 東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻博士課程進学
2000年3月 東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻博士課程修了
2000年3月 博士(理学)取得
2001年4月〜2002年3月 米国ハワイ大学客員研究員
2002年4月〜2005年3月 北海道大学大学院地球環境科学研究科大気海洋圏環境科学専攻 助教授
2005年4月〜2007年11月 北海道大学大学院地球環境科学研究院地球圏科学部門大気海洋物理学分野 助教授(改組のため)
2007年12月〜2010年3月 東京大学気候システム研究センター 准教授
2010年4月〜2016年11月 東京大学大気海洋研究所 准教授(改組のため)
2016年12月〜現在 東京大学大気海洋研究所 教授
2022年8月〜現在 東京大学気候と社会連携研究機構 副機構長


[専門]
気候モデリング、気候変動の物理学、大規模大気循環・異常気象の力学、温暖化の科学


[研究室ウェブサイト]
https://ccsr.aori.u-tokyo.ac.jp/~hiro/index-j.html