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「I am sorry, I cannot speak English」と前置きをして、 2008年、ノーベル物理学賞の受賞記念講演を異例の日本語で行った益川敏英氏。それは、共同受賞者の小林誠氏の英語によるスピーチに続いて行われた。

贈賞理由である「少なくとも三世代のクオークの存在を予言する破られた対称性の起源の発見」をした2人の関係は、1972年にその論文を益川氏が日本語で書き、小林氏が英語で仕上げた当時から36年間変わっていなかったことになる。
 

2008年のノーベル物理学賞は日本人3人の独占受賞で沸いた。故南部陽一郎氏への贈賞理由は、「サブアトミック物理学における対称性の自発的破れのメカニズムの発見」であった。大胆な発想で素粒子物理学の「標準理論」への道筋をつけた一連の研究成果は、「宇宙の起源」という壮大な謎の解明にも重要な鍵となっている。


ここでは、益川氏の「英語嫌いの起源」に迫ってみれば、その原点は意外なほどシンプルであった ― 物理の法則のように。

※本ページのコンテンツは、研究支援エナゴの「トップ研究者インタビュー」から転載しています。ページ末尾のプロフィール欄を除いて、コンテンツに記載のある所属先や役職名はインタビュー実施当時のものです。

moneyを「もーねー」と言ったら、みんな大笑い

ぼくと英語の出会いは、中学一年生。英語の授業で、皆の前で本を読まされるわけです。そのときにぼくがmoneyを「もーねー」と言った。そしたら、先生もクラスメートもみんな大笑い。恥ずかしかった。それ以来、英語はおれには向いとらんと。


そもそも、ぼくのおふくろが音痴なの。で、ぼくも音痴。音痴は、耳で聞いたことをその通りに言葉や音階に載せられない。耳から聞く外国語をまねして口に出すというのが、生来だめなのね。だから、あっさり「英語やめたー!」と思いました。

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受験英語も「やめたー!」

迎えた大学受験で目指したのは、地元の名古屋大学。素粒子論研究室教授の坂田昌一先生による「坂田モデル」の新聞記事を見て、自分も素粒子論の先端に加わりたいと思いました。入学試験は、5教科1,000点満点。理学部はそのうち450点あれば入れるらしいと事前に知りました。計算してみたら、英語が0点でも、理科と数学でほぼ満点を取り、あと少しだけ国語と社会で点を取れば、英語が全然ダメでも入れる。だから、また「英語、やめたー!」と(笑)。それでも、どうにか名古屋大学に進学できました。


大学院の入試のときも、英語は白紙で出したんですよ。それでも合格したのは、上田良二という先生が、合否判定会議のときに「語学は入ってから勉強すればいい。これで入学を一年遅らせる必要はない」と援護してくれていたらしい。

作戦成功のはずが・・・「益川!」とコンとたたかれ

学部の教養課程ではドイツ語もありました。ある先生が、「君たちは理科系だから自然科学に近い方がいいだろう」と言って、エンゲルスの『自然弁証法』をテキストに選んだ。版権がすでに切れている、だいたい100年以上前の文献ですね。名作だから、翻訳が手に入る。ぼくは、試験の前に翻訳を読んで、ストーリーだけ頭に入れておいた。そうすると、試験に出れば多少の単語は知っているから、つないで作文をすればどうにかなる。それをやったの。そしたら、課題には無かった文章を余分に書きすぎてしまった。それで、翻訳をこっそり見ていたことがバレて、先生に答案を返されるときに、「益川!」と頭をコンとたたかれた。外国語は苦痛でしかなく、こうやっていつも逃げ道を探していました。

自分で書いた英語論文は博士論文のみ

ぼくが英語で論文を書いたのは博士論文だけ。先輩諸氏に真っ赤になるぐらい直してもらいました。「何が言いたいんだ、日本語で言ってみろ」と言われて説明すると、上手な先生は、ぼくが使った英語で順番を入れ替えて直してくださる。しかし、別の先生は大幅に直しすぎて、ぼくの伝えたい意味から離れてしまうこともありました。人によって、英文添削のさじ加減って全然違うのだということを知りました。


その後、「この人なら任せられる」という共同研究者を見つけて、英語論文を書いてもらっています。ぼくが日本語で下書きをして、それを英訳してもらうわけです。ぼくがこれまでに発表した論文は40本弱で、決して多産ではありません。ノーベル賞受賞対象となった論文は、書いたのが1972年、雑誌に掲載されたのが1973年の2月でした(タイトルはCP-Violation in the Renormalizable Theory of Weak Interaction)。ぼくが日本語で下書きをして、小林誠くんが英文にしました。そしたら、ぼくの渡した原稿より半分ぐらいの長さになってしまった。「これはいらん」「これはいらん」とはしょられちゃった。CP-Violationは、日本語で「対称性の破れ」として知られるようになりましたが、研究者の間では通常、「symmetry breaking」と言っています。英語ですね。

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益川流英文読解は「漢文方式」で、行間も読む

他者の書いた英語論文は、自分で読みます。日本語に訳してもらったりはしません。訳してもらっていては間に合わないですから。物理の論文については、出てくる単語はわかるので、あとは日本語と英語の文法の違いを補正すれば文章がわかります。ぼくのコツとしては、漢文を読むように「返り点」をつけて、確認しながら読む。このやり方だと、サッと通読する人に比べて、行間を読んだり、「これはなんのために言うのか」などと考えながら読んだりするから、同僚より正確に、深く読めますよ。


英語で読むのはもっぱら論文です。小説は読みません。長編小説なんか大嫌い。歴史大河小説など、主人公の三代前から物語が始まって、さらに主人公のおじいちゃんの生き様が語られ、ようやく主人公が登場し・・・って、そんなことは3行でまとめてほしい(笑)。長編小説を読む味わい方を知らない。芥川龍之介の作品は97%ぐらいまで読みましたが、それは起承転結がはっきりしているから。

国際会議の質疑応答で脱兎のごとく逃げた

研究者になってから、英語をしゃべらなければならない機会が何回かありました。一番おもしろかったのは、1978年、東京で開催された素粒子物理の千人規模の国際会議で、ぼくも発表があって、しゃべる内容を共同研究者と相談して文章にしました。問題は質疑応答です。想定問答集はいちおう考えたけれど、自分のプレゼンが終わったとたんに、質問を待つまでもなく、さっさと降壇した。だって、質問が出たら困るじゃない(爆笑)。ぼくは逃げたよ。脱兎のごとく。みんな笑っていましたね。英語ができなくて困ったことはあまりないけれど、国際会議のときは困りました。ぼくが国際会議で発表したのは、このときを含めて3回だけです。


ぼくはノーベル賞授賞式のときが初めての海外渡航で、留学経験もありません。われわれの時代は就職難で、日本で職が得られないから海外へ渡る研究者も多かったですが、ぼくはなんとか国内で採用してもらって、事なきを得ました。
 

英語はしゃべれるに越したことはないけど、なんとかなるもんです。読むことができれば、なんとか生きていけます。わたしはそれで生きてきたから。

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物理ですから、きちっとすべきところは数式で書けばいい

海外の研究者と情報交換すべきときは、必ず通訳者が同伴していますので、困ることはありません。懇親会などでも誰かが隣に来て助けてくれます。ぼくが英語をしゃべれないことは、今やたいへん有名になっていますから(笑)。物理は、いちばんきちっとしなければならないところは数式で書けばいいのですから、ランゲージというのはそんなに重要な役割をしていない。


ぼくの学生時代には、クイーンズイングリッシュでなければ英語でないというような雰囲気があったけれど、最近はインドなまりだろうが何なまりだろうが、みんな平気でしゃべっとるね。英語は国際化したね。戦前まではドイツ語がけっこう幅を効かせていたけれど、今は英語が国際共通語になっちゃった。これだけ国際化が進めば、意思の疎通をするのに共通語が必要ですから、抗いようがないですね。


最近は日本の学生さんにとっても英語が身近になっていて、自然に、上手にしゃべります。クイーンズイングリッシュである必要はないから、堂々とジャパニーズイングリッシュを話せばいい。

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もう1回人生があったら研究したい「意識」の問題

言葉というのは概念です。漠然と形にならないモヤモヤしたものを言葉にすることによって、抽象的な概念が目に見える形で形成されます。だから言葉は重要です。ただ、言葉の意味は文化的背景などによって異なる場合がありますね。新聞のコラムで読んだ興味深い例があります。日本の法律家の先生がイギリスに留学した際に、高卒の若い秘書に、「先生の文章はロジカルでない」と言われたのだそうです。先生はショックを受けたわけですが、そもそも「ロジカルでない」という言葉の意味が違います。英語では、ロジカルというと「すっと頭に入る、わかりやすいこと」を言いますが、法律家のいうロジカルな文章とは、どこから読んでも誤解が生じないような文章という意味です。


一方、こうした概念を作り出す人間の「意識」についてはまだほとんどわかっていません。人間の頭の中の動きは、コンピュータとは明らかに違うやり方をしていますね。例えば、コンピュータにおいて「足」という情報の解釈を行うとして、それはプログラムが行うものですから、コンピュータが日本にあってもアメリカにあっても、研究室でも、極端な話をいえば台所に置いてあっても、どこでも同じです。しかし、人間にとって「足」という概念は、足から伝わってきた神経を受容する脳のある場所で形成されるに違いないと、ぼくは考えています。つるつるしたリンゴを触ったなら、その皮膚の感覚を受容する脳内の場所があって、そこで概念が作られる。どこでも持ち運び可能なコンピュータと違って、身体の中のその場所、脳の中のその場所にあることに、なにか意味があるのではないかと、ぼくは勝手に想像しています。もう一回人生があったら、「理論脳科学」ともいうべき領域で、このような「意識」の問題を研究してみたいなと思います。年をとると会議などで時間が細切れになります。だから今はぼちぼちやっています。


もう一度ノーベル賞をとったら英語で講演?いや、こうなったら一生、日本語で押し通します(笑)。

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益川 敏英(ますかわ としひで)理学博士・2008年ノーベル物理学賞受賞