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初めて英語の世界に浸ったのは、中学時代。多国籍の教師陣に本場の英語を教わり、うまくしゃべりたい一心で、英語スピーチ部に入ってシェークスピアを暗誦した。パソコンもインターネットもないドクター時代。英語論文執筆は、ゴールのないマラソンロードを地面を這いつくばって進むような、長く苦しい闘いだった。

東大の教壇に初めて立ってから約30年。著書「バカの壁」が新書セールスの記録を更新してから4年。常に学術界の言論リーダーとして積極的な発言を続けてきた百戦錬磨の解剖学者が、「英語の壁」を感じる瞬間とは? 英語論文との格闘秘話から「脳と英語の関係」まで、養老孟司が縦横無尽に英語体験を語る。

※本ページのコンテンツは、研究支援エナゴの「トップ研究者インタビュー」から転載しています。ページ末尾のプロフィール欄を除いて、コンテンツに記載のある所属先や役職名はインタビュー実施当時のものです。

戦後の混乱期、「This is a pen」から教わった

若い方はご存じかどうか知りませんが、戦争中、英語は「敵性語」と言われて積極的に排除されました。戦争が終わったのが、僕が小学校2年のとき。僕は鎌倉の公立小学校だったけど、5年生と6年生で英語の授業が加わりました。戦争が終わった反動で一気に欧米寄りに、という面もあったでしょうね。それこそ教師もシロウトで、「This is a pen」から始まるごく古典的な英語です。今、小学校に英語の授業を入れるとか入れないとか議論されていますけど、僕ら、実は小学校で英語を習っていますから。先を行っているよ(笑)。

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中学校は、母と姉のすすめもあって、カトリック系の栄光学園に進みました。中学で僕が英語を習ったのは、ドイツ人でしょ、アイルランド人でしょ、ベルギー人でしょ、体操の先生はチェコ人だった。当時としては極端にインターナショナル。英語の授業は、日本語の一切ない英語だけで書かれた教科書を使って、ほとんど英語だけで進められました。難しい単語がそのまま出てくるから、それを辞書で引きながら。外国語の教え方としてはきわめてオーソドックスでしたけど、今から考えると中学校の英語教育にしては特殊だよね。


僕は、あんまり語学は好きではなかった。でも、「This is a pen」レベルの小学校から、中学校に入ってみると授業は全部英語でしょ、まわりは外国人だらけでしょ、それで日本人の英語の発音がダメだって気づきましたから、もうちょっとしゃべれるようにしたいと思って、英語のスピーチ部に所属しました。そこもずいぶん正統的な教え方をして、シェークスピアの戯曲とか、「人民の、人民による、人民のための政治」というリンカーンのゲティスバーグ演説とかを暗記させるの。それで人前でしゃべらせるの。フレーズを覚えて、復唱して、脳に定着させるという、語学にもっとも適したやり方です。これが、僕と英語との初対面です。

もうね、英語なんてばかやろうと思うんですよ(笑)

初めて書いた英語論文は、40年前に書いた博士論文です。ニワトリの胚を使って、皮膚の発生の研究をしました。そのときに、普通とは違うのかもしれないけど、「頭から英語で」考えました。つまり、最初から英語で書く。絶対に日本語で下書きしたりしない。これは今でもそうです。初めての英語論文での苦労といえば、とにかく時間がかかった。昔はインターネットもありませんから、英文を書くには、ほかの文献を読むしかない。自分の言いたいことに近いことを言っている箇所にぶつかるまで探して、そこから表現を拾ってくるんです。「これを言うのに英語ではこういう表現をするのか」と、英語の書物を読んでいてハッとすることがあるでしょ。それにぶつかるまで探す。それ以外は、自分の知っている表現の範囲で書かざるをえない。書きたいことは心の中にあるのに言語表現ができないから、もどかしいですよ。まるで子供です。


それから、言葉って意地悪くてねえ、さんざん苦労して書いたのが、こんなまどろっこしく言わなくても、実はこういう表現をすりゃ簡単なんだと、ある日知ることがある。そうすると、いったん論文を作り上げても、当時はタイプライターですから、何度も頭から直すことになるんですよ。これが大変だった。もうね、英語なんてばかやろうと思うんですよ(笑)。英語論文を書き上げるには、今の何十倍の苦労と時間がかかりました。僕、2稿目の英語論文を書いたとき、レフェリーから「これはネイティブの英語だろ」って言われたんですよ。つまり、「本人が自分で書いてないだろ」って言うの。「(日本人が)こんな英語を書けるはずがない」って(笑)。違うんですよ。文献から表現を探し、何度も書き直し、タイプライターで何度も打ち直す。同じことを何度も何度も繰り返しやったから、書くたびに上手になっていったんです。

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日本には「言葉にならぬ感情」ってあるでしょ?英語には、ない

東京大学の助教授をやっていた34歳のとき、オーストラリアのメルボルン大学に1年間留学しました。そのころはもう完全に英語の脳になっていたから、寝言も英語だったと思う。留学に向けて特別な英語の学習は、とくにしていない。僕の英語は中学高校の教育のみ、あとは英語論文を書いただけ。学校教育だけで十分だっていう珍しい人でしょ?(笑)もちろん、英語論文のネイティブチェックはやってもらいましたよ。だって自信なかったから。当時は、外国人の知り合いに頼みました。でも、直された記憶はほとんどありません。


オーストラリア留学時代に英語で苦労した思い出といえば、強いオーストラリア訛りくらいです。あいつら、A(エイ)のこと“アイ”って発音するんだもん。「Will you come here today(トゥデイ)?」っていうところを、みなさんニコニコして「Will you come here to die(トゥ ダイ)?」ですから。僕は、絶対にオーストラリア訛りには染まらなかった。ところがある日、幼稚園に通う娘がお絵かきしているとき「お前、何してるんだ?」って聞くと、「パイント(paint)」って(笑)。子供は順応性が高いなと。


留学時代の論文執筆は、共著が多かったです。自分の担当の章を書くときに、英語圏の共同著者に「こういうことがうまく英語で書けないんだけど」って相談したことがありました。その人、何て言ったと思う?「英語で書けないことはない」だって。つまり、「英語で表現できないことはない。言えないなら、最初から無いんだよ、それは」。日本人はそうは思わない。日本には「言うに言われぬ」とか「筆舌に尽くしがたい」とかさ、「言葉にならない感情」ってものがあるでしょ。一方、彼らは「言葉にしなければ通じないでしょ、通じないことは無視していいでしょ」という考え方。だから、国際会議に行くと、以心伝心の国の日本人は黙っているんだよ。欧米人にしてみれば、「言わなきゃわからないじゃない!」の一言で終わりですよ。

なぜ日本人には「英語の壁」があるのか?

脳の話から言えば、日本人が英語を学ぶっていうのは、極端に大変な話なんです。「重」という漢字を書いて、「これを何と読む?」と聞かれたら、日本人なら答えられないですよ。「おもい」「じゅう」「かさねる」「しげ」……。英語圏の人は、一単語につき一音の世界に暮らしていますから、この概念を理解できない。卒中などで脳の一部が壊れると、文字が読めなくなる「読字障害」が出ることがあります。英語圏の人はまったく文字が読めなくなるけど、日本人の場合、漢字が読めない人とカナが読めない人の二通りに分かれます。日本人の脳の中で「漢字を読む部位」と「カナを読む部位」が別々だからです。

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カナを読んで、意味を生起して、漢字に変換する日本語の読み書きというのは、脳の2ヶ所を使っていて、きわめて特殊で世界でも珍しいんです。ちなみに、英語圏の人が使っているのは「カナを読む部位」のみ。「漢字を読む部位」は、日本人以外はほとんど使わない。つまり、日本人にはカナを漢字に変換する構造がもともと脳の中に備わってあるから、26の音の組み合わせで成立する英語の世界は、学びにくいんですよ。日本人の英語がだめだとか言う前に、日本語とは何だ、英語とどこが違うんだということを理解したうえで議論してほしいと思います。


英語論文でも、英語と日本語の文化の違いからさかのぼらなくてはいけない。英語論文を書くときに、僕が二つの言語の性質の差を感じるのは、英語の文章を書くためには、日本語で記述するときとは違った部分を観察しなければいけないということ。僕が日本語の頭で観察するでしょ、観察が終わったと思って、今度は英語で書くでしょ、すると、途端にわからなくなって、現物に戻って見直すということがあるんです。なぜなら、英語の文章になるためには、ここが抜けていたら文章にならんというのがあるんですよ。主語が典型的にそう。日本語だったら、主語を省略することだってできる。でも英語では、「はて、主語は何だったっけ」と確認しなければいけない。


英語だと、その手のあいまいさが許されないときがある。たとえば、日本語で「ここにこういうものがある」と書く場合、英語では「何と何との間にこれはある」といった文章にしないと、英語としては不完全になってくるんです。英語は、観察を強制し、具体性を求める性質をもつ言語なんですよ。だから、英語で論文を書くときは、日本語で書くときとは違った脳を使わなくてはいけない。日本語の論文をそのまま翻訳したら英語の論文として使えるかというと、そういうわけではない。だから、非英語圏の研究者にとって、英語の壁はものすごいハンデですよ。英語を自国語として仕事をできる人の、単純に2倍の時間と労力が必要なんだから。

英語論文なんてアホらしいことは絶対やめた

僕はね、そんなこんなで英語論文を10年くらい続けて、こんなアホらしいことは絶対やめたと思った。同じことやるのに、日本語だったらはるかに速いですから。しかも、はるかにちゃんとした文章を書けるんだから。本来の仕事のクオリティーを保ちながら、英文のレベルを高いところまで持っていくことは、非ネイティブにはほとんど不可能だなぁと思って、僕はあるとき英語で書くのをやめちゃった。それに、たとえ英語の正確な文章を書くことができても、相手がそれをどう受け取るか、僕らにはわからない。厳密にものを伝えようとしたとき、やはり第二言語の限度がありますよ。そしてまた、日本の学会ってのが変な理屈を持っていてね。英語で書かなきゃ論文じゃねえとか言うから、僕はあえてそこから外れた。論文投稿もまた、レベルの高いジャーナルでなきゃいけないとか、ここに載れば一流だとか、僕はそういうのも嫌いだから、単行本にした。


最近よく言われますよ、なぜ英語で書かないんだと。「めんどくせえ」っていうの(笑)。英語にしたって、お前らどうせ読まないんだ。それよりも、日本語でよくわかるように書くのにえらい時間がかかっているってことに、気がつかないんだよね。言いたいことをよりよく伝えるために、何度も何度も頭の中で、実は繰り返し書いているんですよ。英語は僕にとって、あくまでも手段であって、目的ではない。行くべきすてきなパーティーがなければ、靴ばかり磨いたって仕方ない。僕の考えていることが人に伝わればいい。それが本当に必要であれば、そのうち自然に英語になるでしょう。


(2007年8月4日、8月8日 鎌倉・養老孟司氏宅にて)

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養老 孟司(ようろう たけし)東京大学 名誉教授