マサチューセッツ州イプスイゥッチ市にあるNew England BiolabのScientific Officer。1968年にシェフィールド大学にて有機化学の博士号を取得後、ハーバード大学のポストドクトラルフェローを経て、1972年~1992年にCold Spring Harbor Laboratoryに勤務。J. D. WatsonのもとAssistant Director for Researchとなる。
1972年から、当時発見されたばかりのII型制限酵素の研究に従事し、初期に発見された100種類の制限酵素のうちの70%以上を同定した。1975年にはNew England Biolabの4人目のメンバーとして加わり、主任コンサルタントを経て1992年には完全に移籍した。アデノウイルス2型における転写に関する研究をきっかけに、1977年には遺伝子の分断およびmRNAのスプライシングを発見、1993年のノーベル医学生理学賞の受賞に至った。
アデノウイルス2型遺伝子の配列を決定していく中で、コンピューターによる解析方法を先駆的に導入し、以来、この手法は欠かせないものとなっていった。制限修飾システムにおけるDNAメチルトランスフェラーゼにも興味を持ち、HhaIメチルトランスフェラーゼの結晶構造解析に初めて成功し、塩基フリッピングの発見につながった。新たな制限システムを見つけるべく微生物のゲノムのバイオインフォマティクス研究を行うとともに、SMRT(一分子リアルタイム)シーケンシングやm5Cを含む認識部位を明らかにするための新たな手法を用いて、DNAメチルトランスフェラーゼの認識配列のさらなる解明にも取り組んでいる。現在、これらの酵素が単に宿主DNAを制限酵素から守る以外にも重要な役割を果たすことが明らかになりつつある。
ノーベル賞の受賞以降、ロバーツ博士は多くのノーベル賞関連のキャンペーンを展開し、科学に対する誤った知識を改め人道的な理念を高めるための啓発活動も積極的に行っている。最近では、GMO(遺伝子組み換え生物)の問題に取り組み、155名のノーベル賞受賞者と共にGMO技術が発展途上国における植物栽培において非常に有用であることを訴えている。