数値モデルのプログラミングは誰がやっても同じ結果にはならない職人技
―20年以上にわたり、エアロゾルが気候変動に及ぼす影響を探るべくSPRINTARSの開発・運用に携わっていらしたとのことですが、研究をなさっていて、どういう時が一番楽しいですか?
竹村博士:プログラミングをしているときですね。気候の数値モデルというのは、すでに解明され定式化された現象だけでなく、理論的に明らかにされていないプロセスについても、数式に落とし込まなければ作れません。例えば、砂漠で風が吹く状態をイメージしてみてください。砂がふわっと舞い上がりますが、この個々の砂粒の動きは実は理論的に完全には解明されていません。でも、風が強く吹けば舞い上がる砂の量は多くなるので、風速と砂の舞い上がり量の関係式をコーディングしてみればいいのです。
ごく簡単な例をお話ししましたが、実際には日ごろから幅広く論文を読み、各専門分野の最新の知見に基づいて数式をコーディングしていきます。誰がやっても同じ結果にはならない、いわば職人技といえるでしょう。こうやればうまくいくはず、と思ってプログラムを走らせても、たいていバグが出てしまうので試行錯誤の繰り返しです。1つの過程を組み込むのに最低でも1週間はかかりきりになりますが、うまくいった時の喜びはひとしおです。
―大学の運営に関わるお仕事もされながら、それだけの時間を確保するのは大変でしょうね。
竹村博士:確かにPIになっても自身でプログラミングするのは大変ですし、めずらしいことかもしれません。後進を育てていくことも必要なので、大学院生や若い研究者と分担しながら改良を進めています。
数値モデルの予測結果で社会へも貢献
―SPRINTARSを使って一般社会に対しても情報を発信されているそうですね。
竹村博士:PM2.5や黄砂がどれくらい飛散するか、1週間先までを予測して公開しています(図:PM2.5・黄砂週間予測システムの開発と運用)。SPRINTARSはエアロゾルによる気候変動を予測するための数値モデルなので、数年とか数十年という単位の変化を追うように設計されていますから、明日や1週間先など短期的な予測するためには補正する必要がありますが、基本的には同じ理論に基づいて計算しています。PM2.5や黄砂の予測は、SPRINTARSの副産物ともいえる成果です。喘息をお持ちの方や小さなお子さんなど、このような情報を必要としている方がいらっしゃいますし、社会貢献の一環としてボランティアでやっています。
―国際的にはいかがでしょうか?
竹村博士:2007年の福島第一原子力発電所の事故の際には、放射性物質の飛散量を予測し、海外の国々にどれくらいの影響があるかを2011 年にScientific Online Letters on the Atmosphere (SOLA)誌に発表しました。事故が起きたのは3月でしたが、夏には論文を発表しました。この論文をきっかけに、より狭い領域でより短期的な飛散予測を詳細にするための数値モデルの開発が進みました。
また新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大の影響により、2020年2月ごろからNO2の発生量が中国で激減していることが報告されています。このようなデータとエアロゾルの観測値を解析することにより、どのくらいNO2を減らせばこれくらいエアロゾルが減るという分析も可能だと思われます。現在、取り組んでいる課題の1つです。
研究は政府関係者からの注目を集め、IPCCの報告書作成という名誉へ
―IPCCの報告書の作成にも関わったと伺いました。どのようなお仕事をされたのでしょうか?
竹村博士:IPCCの報告書の著者は各国政府からの推薦を受けた研究者の中から、IPCCの本部により選出されます。大変、名誉ある仕事で、私にもそのようにして声がかかりました。
報告書は、比較的新しい学術論文の成果をまとめたものです。フルペーパーの論文を書くのとは違い、むしろレビュー論文を書く作業に近いですね。専門家や政府関係者からの査読も3回入ります。第4次評価報告書では執筆協力者、第5次報告書では主執筆者を務め、当時は常に締め切りに追われている感じで研究との両立に苦労しましたが、重要な仕事に関わっているという使命感で乗り切りました。
ポジションを得る前の若手研究者へ支援を
―国際的にご活躍されている先生のお立場から、若い研究者へアドバイスがありましたらお聞かせください。
竹村博士:研究者として自立していくためには、装置にせよモデルにせよ、何かしら自分自身でツールを開発することが大事です。誰かが作ったツールを使えば簡単にデータが出るし論文の数も増えるかもしれませんが、やはり自分で作ったツールを持っている人は強い。そのツールにかけては、誰よりも自分がその特性をよく理解していますし、たとえ自分の研究が行き詰ったとしても、他の人がそのツールを使ってくれることで、思わぬ方向に進展することもあるでしょう。
加えて、研究の幅を広げることも大事です。私自身、30歳のときにNASAのGoddard Space Flight Centerに1年ほど滞在し、専門の数値モデルではなく、あえて人工衛星を使ってエアロゾルの観測をしているラボを選んで仕事をしました。おかげで観測に関する理解を深めることができましたし、それまで交流のあった海外の研究者とお互いに顔が見える関係を築くことができ、情報交換もさらにやりやすくなりました。メールやweb会議ツールが発達している時代でも、やはり直接会ったり一緒に仕事をしたりすることで、より信頼関係が強くなることを実感しました。
―現在、日本の研究者の数が減り続け、論文の数も欧米や中国に押されていると聞きます。どうしたらこの状況を解決できるとお考えですか?
竹村博士:研究者の数を増やし、層を厚くするために、博士課程に進む学生の数を増やすための対策を打ち出すことが急務です。優秀な学生ほど博士課程に進まずに民間企業に就職する傾向があり、もったいないと感じています。
今、若手研究者をサポートする研究費はそれなりに充実していますが、これはすでにポジションを得て自立した若手研究者を支援するためのものです。学位をとってからポジションを得るまでの間も生活に困らない仕組み作りが必要です。欧米では、獲得した研究費の中から自分の給料を出すことが可能なのですが、このシステムを、是非、日本の若手研究者、それも30代くらいまでの人たちに向けて導入したらいい。そうすればキャリアパスを具体的にイメージできるので、博士課程に進もうと思う人が確実に増えるでしょう。
ツール開発から気候変動の影響予測へ – さらに拡がる研究課題
―最後に、先生がこれから取り組んでいきたい課題をお聞かせください。
竹村博士:これまではSPRINTARSのツール開発自体が研究のメインで、エアロゾルによる気候変動の影響を統合的に評価できるようになったのは、つい、この2~3年のことです。今後はエアロゾルの排出を何年かけてどの程度減らせば、地球の温度がどの程度変化するといったような分析結果を出すところまで持っていきたいです。
―壮大なプロジェクトですね。ますますのご発展をお祈りしています。ありがとうございました。
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竹村俊彦博士へのインタビュー・前編では、数値モデルSPRINTARSとエアロゾルの概要についてお話いただいています。