肝癌患者の生存率2倍を証明した臨床試験について話す工藤正俊教授

肝臓癌は治る病気に 分子標的薬を用いた新規治療の最前線・前編

2019年高被引用論文著者リストに選出

―2019年 Highly Cited Researchers の受賞、おめでとうございます。臨床部門で日本人唯一の受賞、しかも日本人の受賞は5年ぶりです。2008年から2018年の論文数は442本に達し、そのうち高被引用論文(分野・出版年・論文の種類が同じ論文において引用数のトップ1%以内に相当する論文)は28報にのぼります。高被引用論文が論文総数に占める割合が6.1%と日本国内平均0.92%を大きく引き離し、いかに工藤先生の業績が素晴らしいかがわかります。

工藤教授:たいへん光栄で嬉しく思っています。

「日本に学べ」高被引用の決め手は世界をリードする肝癌治療ガイドライン

世界をリードする日本の肝癌治療について話す工藤正俊教授

―引用件数が高い論文のタイトルを拝見しますと、治療のガイドラインに関する論文を多く発表していらっしゃいますね。

工藤教授:日本の肝臓癌の5年生存率は60%で、アメリカの11%、台湾の20%、韓国の19%と比較しても圧倒的に治療成績がよいため、日本の肝癌診療は世界のお手本と言われています。肝臓癌の治療を成功させるためには、早期の発見、的確な診断、優れた治療の3つが欠かせませんが、日本はいずれにおいても世界をリードしてきました。

肝臓癌はB型・C型肝炎の人がなりやすいのですが、日本肝臓学会では20年以上前から「肝癌撲滅運動」という啓蒙活動を行ってきました。おかげで日本では肝炎ウイルスと腫瘍マーカー・超音波検査によるスクリーニングの検査が普及し、肝臓癌と診断された患者さんの実に65%が早期の段階で、30%が中期の段階で見つかります。診断方法についても日本は造影CT、造影MRI、腹部超音波の技術が広く普及し、そのレベルも高いです。また治療についても、現在広く用いられているエタノール注入療法、マイクロ波焼灼療法、肝動脈化学塞栓療法(TACE)、系統的亜区域切除術は、ラジオ波治療を除きいずれも日本で開発された手法です。

スクリーニング、早期肝癌の概念から診断、治療までの流れを、私が主導してエキスパートコンセンサスに基づいて日本のガイドラインとしてまとめ、英文出版しました。これをきっかけに世界の国々から「日本に学べ」という動きがでてきましたので、各国の有名な先生に声をかけ、世界初となる国際的なガイドラインも作りました。また同時に、複数の国からのデータベースを作成して、実臨床における国別の診療パターンの違いや治療成績を比較する非介入試験も多数行い、論文に発表しました。これらの成果が論文数や被引用件数に現れているのだと思います。

世界が超えられなかった肝臓癌治療の壁

TACEや分子標的薬など肝癌治療発展の経緯について話す工藤正俊教授

―治療法に関する論文の引用数も高いですが、肝臓癌の治療法はどこまで進んでいるのでしょうか?

工藤教授:肝臓癌はその進行度により治療法が変わってきます。早期では切除またはラジオ波焼灼療法により癌細胞を取り除きます。中期になりますとTACEという処置を行います。ただ、あまりにも腫瘍が大きかったり、その数が多かったりすると、TACEは有効ではありません。TACEを施すと、癌でない細胞も死んでしまうので肝予備能が落ち、かえって予後が悪くなってしまうのです。

そこで注目されてきたのが分子標的薬です。抗がん剤は正常な細胞も攻撃してしまいますが、分子標的薬はがん細胞だけをターゲットとするので副作用も比較的少ないのです。2009年には分子標的薬ソラフェニブが治療薬として承認され、TACEを施せないくらい進行した肝臓がんの治療に使われるようになりました(図:中期肝癌における治療パラダイムの変化-その1)

TACEと分子標的薬を用いる中期肝癌における治療パラダイムの変化-その1
図:中期肝癌における治療パラダイムの変化-その1

この10年ほどは、分子標的薬を前倒ししてTACEと併用する治療法が試みられてきました。TACEを行ってから、ソラフェニブを投与し、またTACEを行ってさらにソラフェニブを投与するという繰り返しを行うのです。ただ、このTACE+ソラフェニブの併用療法の検証が世界中で行われたものの、なかなかTACEを超える治療成績は得られませんでした。

肝癌患者の生存率2倍を証明した臨床試験に成功

―そのような状況の中、工藤先生のチームは次々に新しい治療法の開発に成功されたそうですね。

工藤教授:TACEとの組み合わせ治療という意味では2つの臨床試験を成功させました。1つ目はソラフェニブをTACEと交互に用いるのではなく先に投与しておくという治療を行い、ソラフェニブを先行投与した方が癌の進行を遅らせることを明らかにしたTACTICS試験です。失敗に終わった数々の臨床試験から「なぜ失敗したのか」を考え、試験デザインを熟考し工夫することにより、世界に先駆けてソラフェニブ先行投与の有効性を証明することができました。

肝癌患者の生存率2倍を証明した臨床試験の成功について話す工藤正俊教授

さらに2つ目の臨床試験では、レンバチニブという別の分子標的薬を先行投与しTACEと組み合わせて治療を行いました。実は私たちは、レンバチニブがソラフェニブより優れた臨床特性を持ち、ダウンステージングと言ってもいいくらいに腫瘍量を減らすことを見つけ、2018年にLancet誌に発表(論文引用数566件)していました。そこで、先ほどのTACTICSと同じ発想ですが、レンバチニブを先に投与して腫瘍量を減らしておいてから、残ったがん細胞にTACEを行うという治療法を試みました(図:中期肝癌における治療パラダイムの変化-その2)。これまでも、TACEの効果がみられなくなったら早めに分子標的薬に切り替えましょうという治療方針はあったのですが、過去の知見に基づき、レンバチニブの先行投与はTACEに相乗効果をもたらすはずだという仮説を立て(工藤正俊教授研究コラム「レンバチニブ先行後の選択的TACEによるシナジー効果」参照)思い切って順番を変えるという方法を試みたのです。

分子標的薬レンバチニブと選択的TACEを用いる中期肝癌における治療パラダイムの変化-その2
図:中期肝癌における治療パラダイムの変化-その2

結果は予想通り、奏効率が73.3%とTACEのみの場合(33.3%)よりも著しく高くなりました。また、全生存期間(OS)も2倍に伸びるという結果が得られ、この成果を2019年にCancers誌に発表しました。がん治療においてOSは治療効果を示す指標のなかでも最も強いエンドポイント(治療効果指標)で、それが2倍に伸びたというのは画期的なことです。中には完全に癌細胞が消滅し、レバチニブを飲まなくても無再発の状態が続いている患者さんも多数います。もはや、進行した中期の肝臓がんは治る病気になったといっても過言ではありません。

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工藤正俊教授へのインタビュー・後編では臨床試験を成功させる秘訣や論文執筆についてお話を伺います。

工藤正俊教授研究コラム「レンバチニブ先行後の選択的TACEによるシナジー効果」

高被引用論文著者(HCR)インタビュー記事一覧はこちら

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『ただやみくもに新しいものを作るのではなく、コンセプトを考え、ビジョンを示し、先を予測する。そこから真の飛躍が始まるのです。これぞ研究の醍醐味だと私は思っています。』-北川進博士

多孔性配位高分子(PCP):ナノスケールの孔から広がる無限の可能性・前編

論文の高被引用は研究分野の発展の証

Highly Cited Researchersに6年連続で選出された感想を語る北川進博士

―このたびは、Highly Cited Researchers 2019に選ばれ、おめでとうございます。北川先生はこれで6年連続のご受賞となります。特に1997年のAngewandte Chemie-International Edition誌に掲載されたPCPの論文は、845件という引用件数もさることながら、この論文を引用した論文の引用件数も46,171件と極めて高くなっています。ご感想はいかがですか?

北川博士:PCPの分野で研究を始めて20年以上が経ちますが、当初は見向きもされなかった論文が多くの論文で引用され、その論文がさらに引用されていることは、それだけこの分野が発展してきた証といってよいかと思います。特に2010年ごろを境に、それまでは化学分野での引用が中心だったのが、物理や材料、さらには生物といった分野にまで波及していきました。感慨深いものがありますね。

発想の転換から生まれた「無用の用」-多孔性配位高分子(PCP)の構築に成功

―PCP開発の発端となった1997年の論文では世界に先駆けて無機物と有機分子からなる3次元的かつ強固なネットワークの構築に成功されたということですが、概要を教えていただけますか?

北川博士:分子でネットワーク構造を作る試みは100年以上前から行われていて、初期のころは金属イオンをシアン化物イオンやハロゲン化物イオンでつないでいました。1960年頃になると、これに有機分子を加える試みが始まります。

PCP開発の経緯について話す北川進博士

孔のあいたネットワーク構造を作るためには、なかに「詰め物」となる溶媒を入れて分子の「ジャングルジム」を作り、そのあと溶媒を取り除くのです。ところが1990年代半ば当時は、溶媒を除去するとジャングルジムもつぶれてしまっていた。私は溶媒を取り除いてもネットワーク構造がつぶれないものを作ることに成功したのです。しかも、分子を吸着させ、これを放出することが可能なものができました。無機分子と有機分子(有機配位子)を配位結合でつないで多孔質構造を形成させるので、これを多孔性配位高分子PCPと名付けました(北川進博士研究コラム「配位結合とPCP」参照)。

―同様の試みはアメリカやオーストラリアでもされていたようですが、先生が世界に先駆けてPCPを作ることができたきっかけは何だったのでしょう?

北川博士:初めからPCPを開発しようと思っていたわけではないのです。もともとは金属錯体(金属と非金属の原子や分子が配位結合によって結合した化合物)を利用して新しい磁性体や電導体を作る研究をしていました。金属酸化物ですと、わりと簡単に磁性体や電導体になるのですが、金属錯体ではなかなかうまくいきませんでした。どうしても余分な隙間ができてしまい、磁石にもならない、電気も通らない。

ところが、ふと気がついたのです。磁性体や電導体としては失敗作かもしれない。でも多孔質構造としては成功作なのではないかと。この隙間を利用すれば、新しい化学反応の場を作ることができるのではないかと発想を転換しました。中国の古典に「無用の用」という言葉があります。一見無駄に見える隙間は、その構造が機能を発揮するために必要な空間なのだ、という意味です。まさにこれだと思ったわけです。

発表当初は無視された論文が、PCP研究を大きく発展させる引き金に

―論文が発表された当初、周りの反応はいかがでしたか?

北川博士:はっきり言って、無視されました(笑)。PCPの孔はナノメートルの大きさですから肉眼で直接見ることはできず、X線結晶構造解析という手法を使って分析し間接的に見るのですが、その解析方法が間違っているのではないかとも言われました。多孔質構造なら活性炭やゼオライトといった材料が既にあったので、何を今さら、という印象も持たれたのかもしれません。

ところが、より多くの分子を吸着させる性能をもつPCPの開発が始まると、だんだん注目を浴びるようになり、多くの研究者が参入してきました。みなこぞって活性炭やゼオライトの性能を超える材料を作り、トップジャーナルへの論文掲載を目指す時代が訪れました。

―そのような状況の中、PCPには活性炭やゼオライトにはない特徴があることを予測されたそうですね。

PCPのフレキシブルで柔らかい特徴を象徴する、北川進博士のお部屋に飾られた絵画
拠点長室には、これまでに発表した研究成果をイメージしたイラストが飾られている。チョウのイラストもその一つ。

北川博士:1998年のBulletin of Chemical Society of Japan誌に掲載したレビューに、PCPには「フレキシブルで柔らかい」という特徴があるはずだと書いたところ、予測通り、2001年にはこれを実証する論文が発表されました。イメージとしてはジャングルジムの格子が、一斉に縮んだり斜めにひしゃげたりするというと分かりやすいかもしれません。このフレキシビリティのおかげでPCPは活性炭やゼオライトの性能を超えただけでなく、反応のスイッチング機能を獲得したのです。

無機物と有機分子からなる配位高分子を第1世代、これを強固な多孔質構造に進化させたPCPを第2世代とすると、柔らかさを活かして分子の貯蔵・分離・触媒といった様々な機能を獲得したPCPは第3世代という位置づけになります。第3世代に関する知見を2009年Nature Chemistry誌にレビューとしてまとめました(引用件数1156)。

多数のレビュー執筆は、PCP研究のパイオニアとしての使命感から

―先生はフルペーパーの論文だけでなく、レビューも多数執筆なさっているのですね。レビューを書く意義をどのように考えていらっしゃいますか?

北川博士:一言で言えばオリジナルの仕事を明らかにすることだと思います。一般的な学術の流れとして、何か新しいものが出てくると、初めはあまり注目されない。でも、そのうち認知されてくると、急激に興味を持たれて大勢の研究者が群がり、論文が山のように発表されてくるのです。そうなるとパイオニア的な仕事は忘れられて、直近に発表された論文しか引用されなくなる。レビューについても、最近発表された論文をとりあえず集めてまとめただけというお手軽なものが増えているように感じます。

レビュー論文はサイテーションを上げる手段の1つと考えて書きたがる人もいると聞きます。発表されている膨大な数の論文に目を通すのは大変な作業になるため、レビューを引用する方がオリジナルペーパーを読み込むより楽だから引用も増えるのでしょう。しかし、だからこそ、誰がオリジナルな仕事をしたのかを明らかにして発信することは、科学者の重要な使命だと思っています。

―そういう意味では、先生はPCPの第一人者でいらっしゃるので、まさにレビューを書くのにふさわしい研究者ですね。

北川博士:実際、レビューを書いてくださいという依頼がたくさんあります。全部はお引き受けできないので、選ぶのに一苦労です。レビューを書くのは大変な作業ですが、私は嫌いではありません。レビューには、単に既発表論文を整理するだけでなく、それらを学術的な流れの中で位置づけ、さらにはこれからの方向性を提示するという役目があります。ともすると、材料科学の世界では、やみくもに新しいものを作って満足して終わってしまいがちですが、今後の学術的なコンセプトを考え、ビジョンを示し、先を予測する。そこから真の飛躍が始まるのです。これぞ研究の醍醐味だと私は思っています。

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北川進博士へのインタビュー・後編では、若手研究者へのメッセージや論文執筆、共同研究について伺います。

北川進博士研究コラム「配位結合とPCP」

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数値モデルSPRINTARSを使ったエアロゾルの気候変動について話す竹村俊彦博士

大気中の微粒子が気候を変える!?数値モデルSPRINTARSが挑む壮大なプロジェクト・前編

大気汚染物質エアロゾルとは

―このたびはHighly Cited Researchers(HCR)2019への選出、しかも6年連続でのご受賞おめでとうございます。先生はエアロゾルが気候変動に影響を及ぼすメカニズムを解明することを目的として研究をされてきたそうですが、エアロゾルとは何か、またこれが気候に対してどのような影響を及ぼすのか教えていただけますか?

竹村博士:エアロゾルというのは直径1nm~100μm程度の大気中の微粒子のことです。物を燃やした後に発生するすす、二酸化硫黄SO2や窒素酸化物NOxから化学変化によりそれぞれ生じる硫酸塩や硝酸塩などがあり、それらのうちで直径が約2.5µm以下のものがPM2.5です。エアロゾルは大気汚染物質であると同時に気候変動の要因にもなっていて、しかもCO2とは逆に正味で地球を冷やす効果があると考えられています(竹村俊彦博士研究コラム「エアロゾルによる気候変動」参照)。

―地球温暖化を防ぐためにはエアロゾルがあったほうがいいのでしょうか?

竹村博士:決してそうではありあません。エアロゾルは大気汚染物質ですから、もちろん減らす必要があります。ただ、いきなり減らして空気をきれいにしてしまうと温暖化が加速してしまう危険性があります。どのようなプロセスを経てエアロゾルを減らしていけばよいのか、CO2の削減量との兼ね合いも考慮しながら、経時的かつ定量的に最適な解を考えることが大事です。そのために、私は数値モデルSPRINTARSを使って、その最適解を探しています。

地球規模の気候変動を再現、予測するソフトウエア・SPRINTARS

―SPRINTARSは、具体的にどのようなことを計算しているのでしょう?

竹村博士:エアロゾルやその前段階の物質がどこでどのくらい発生しているかというデータをもとに、それがどこに飛ばされ、どれだけの化学反応を起こし、どの程度が雲粒の核となり、また最終的には地上に落ちていくのかという、いわゆる輸送過程を、気象学や化学の理論を数式化して予測しています(図:全球エアロゾルモデルSPRINTARSの概要)。

全球エアロゾル気候モデルSPRINTARSの概要
図:全球エアロゾル気候モデルSPRINTARSの概要

エアロゾルの発生源に関するデータだけでなく、各地点でどこに向かってどれくらいの強さの風が吹いているか、といった情報も重要で、風、気温、雲、雨に関しては気象モデルに基づいた計算値を使っています。

そして、エアロゾルが気候にもたらす相互作用(コラム参照)についても計算することがポイントです。地球の表面をおよそ35km四方のマス目(グリッド)に区切り、全地球上のグリッドにおけるエアロゾルの値を定量化していきます。そして、SPRINTARSは気候モデルと組み合わせられているので、エアロゾルによって地球の温度が何度変化するかという予測をすることが可能です。

論文の高被引用・高評価へつながった数値モデルの信頼度の高さ

20年以上前から開発・運用に携わるSPRINTARSについて話す竹村俊彦博士

―なるほど、高被引用論文に気象学のジャーナルだけでなくEnvironmental Research Letters誌(環境科学)やChemical Society Reviews誌(化学)の論文も見受けられるのは、環境に関わる様々な現象を物理や化学を駆使してモデル化されているからなのですね。実際、今回のHCRもクロスフィールド分野でのご受賞でした。数値モデルの予測が正しいかどうかはどのように検証するのでしょう?

竹村博士:人工衛星や地上の測器を使ってエアロゾルの量を測定しているので、これを数値モデルの計算結果と照らし合わせて検証します。ただ、気象現象というのはどうしてもカオス的な側面があって、1つの数値モデルだけで正確な値を出すことは、まず不可能です。そこで、同じようなコンセプトで設計された数値モデルにより導かれた値を相互比較して観測値と照合し、いわば答え合わせをする形で共著論文を発表するのです。私はAeroComという国際的なグループに所属し、相互比較の論文を多数発表しています。

―2011年および2013年にAtmospheric Chemistry and Physics誌に掲載された論文(それぞれ引用数424件および365件)のタイトルにもAeroComの名称が入っているものがありますね。それにしても、数値モデルのプログラムは膨大なものになるのでしょうね。SPRINTARSはどのように発展してきたのでしょう?

竹村博士:私がこの研究を始めた修士課程1年当時、エアロゾルの振る舞いを陽に組み込んだ気候変動モデルはありませんでした。そこで、まずは1種類のエアロゾルの地球分布を計算するモデルを作り、そこからエアロゾルの種類を網羅していき、さらに相互作用の効果も付け加え、SPRINTARSをバージョンアップさせていきました。今や大学院生でも読みこなすのが難しいくらい複雑かつ膨大なプログラムになっています。

数値モデルの世界では、ツールを作ること自体も研究テーマとなり、それを発表する論文はdescription paperとよばれています。私も東京大学海洋研究所、国立環境研究所、海洋開発研究機構と共同でSPRINTARS を改良し、その成果をJournal of Climate誌(2010年、引用数567件)やGeoscientific Model Development誌(2011年、引用数492件)などに発表してきました。

―これらの論文はどのように引用されているのでしょう?

竹村博士:気候変動対策をする際の科学的根拠となる資料として世界的に権威のある、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書や、SPRINTARSの解析結果を用いた論文に引用されています。国際的にみても数値モデルを作った時期が早く、長年かけて改良を重ねることができたため、計算結果の再現性も良く、高い評価を得ていると感じています。論文の引用件数が多いのもこのためでしょう。

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竹村俊彦博士へのインタビュー・後編では、研究の醍醐味や学術界への提言について伺います。

竹村俊彦博士研究コラム「エアロゾルによる気候変動」

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『ポジティブな結果が得られなかった臨床試験の論文は、実は宝の山』-工藤正俊教授のお話より

肝臓癌は治る病気に 分子標的薬を用いた新規治療の最前線・後編

―分子標的薬レンバチニブを先行投与しTACEと組みf合わせるという新規治療の開発に成功し、それまでの標準治療に比べて中期肝癌患者の全生存期間が2倍に伸びたと伺いました。治療法の順番を変えるだけで治療効果が格段に上がったのですね。なぜ、他の人はこのアイディアを思いつかなかったのでしょう?

工藤教授:さあ、それは他の人に聞いてみないとわからないですね(笑)。ただ、私は臨床と基礎の両方の下地があったのだと思います。臨床の現場では診断から治療まで全て自分自身でやりますし、TACEの経験もかなりあって、以前は自分1人で週に16件ほどTACEを実施していた時期もあるくらいです。多くの症例に接する中で「分子標的薬の投与のタイミングを早めればTACEの効果が高まるはずだ」と実感していました。

工藤正俊教授の研究室にて

また、基礎研究についても、私は若いころから臨床の論文だけでなく基礎の論文にもしっかり目を通してきました。20年ほど前にScience誌に発表された動物実験で、レンバチニブと似たような薬剤が血管新生を抑制し、腫瘍血管を正常化させ、その結果、薬剤を均一に分布させることができるという報告があったものですから、TACEの前にレンバチニブを投与すればTACEの効果がさらに高まるはずと確信していたのです(工藤正俊教授研究コラム「レンバチニブ先行後の選択的TACEによるシナジー効果」参照)。

肝臓癌研究の世界的権威・学会が新規治療法を引用

―この新しい治療法に対して、周りの反応はいかがでしたか?

工藤教授:肝臓癌の世界的な権威といわれている人たちが、早速、米国の学会でも私の論文を引用し、「新しい治療法の開発」として度々紹介してくれました。またCancers誌に2019年に発表した新規治療に関する論文は、アメリカ肝臓学会(AASLD)のエキスパートパネルが執筆したposition paperである「Trial design and endpoint in HCC(hepatocellular carcinoma)」という論文(2020年Hepatology誌)にも引用され、合理的な新規治療法として紹介されています。実は私もこのアメリカ肝臓学会のエキスパートパネルの共著者なのですが、私の担当部分でないところで別の研究者が引用して、そのように記載してくれていました。

世界で引用される新しい肝癌の治療法について話す工藤正俊教授

日本肝臓学会の肝癌診療マニュアルの改訂に間に合うタイミングで論文を発表しましたので、日本では、この治療法が浸透しつつありますし、アジア太平洋肝癌学会(APPLE)という国際的な治療方針の指針にもすでに反映されています(Liver Cancer誌2020年に掲載)。

また、世界のあちこちから講演依頼があり、この冬にはニュージャージーに出張して全米の腫瘍内科医向けに講演を行いました。希望者が多くて会場に収まりきらないというので、西海岸から東海岸までの全米をカバーするために2日に分けて4回インターネットでライブセミナーを開催することになったのです。同様の講演会やライブセミナーは今後、カナダ、オーストラリアなどでも予定されていました。しかし新型コロナウイルスの影響で渡航できなかったため全てウェブで私の部屋から、カナダ、オーストラリア、中国、台湾、タイなどに対して、ウェブ講演を行いました。中国では17,500人の医師が視聴しました。

失敗した臨床試験から「宝」を見つけ、活かす

―この治療法のインパクトがいかに大きかったか、皆さんの反応が物語っていますね。ところで世界中の研究グループがこぞってTACEと分子標的薬の併用治療の開発に取り組みましたが、多くの臨床試験は失敗に終わりました。なぜ先生のチームが成功を収めることができたのでしょうか?

工藤教授:レンバチニブがソラフェニブよりも肝臓がんに対する奏効率が高かったことも一因ですが、もうひとつの大事なポイントは、対象となる患者さんを限定したことだと思います。どんなに優れた薬や治療法でも、それが効く人と効かない人がいます。両者を区別せずに臨床試験を行うと、一部の人には確かに効いているのに、全体的に見て有効性を証明できないという結果になってしまうかもしれません。効果が期待できる患者さんに限定して臨床試験を行いポジティブな結果を発表しないと、いつまでたっても「新規治療法」が認められず、せっかく臨床上のベネフィットがあるのに、患者さんはその恩恵を受けることができません。

ポジティブな結果が得られなかった臨床試験の論文は、実は宝の山です。なぜ失敗したのかという視点でじっくり読めば、「この層別因子を入れるとか、あるいはこの集団に絞ればポジティブな結果が得られたはずだ」というポイントが見えてきます。それを熟考して次の臨床試験のデザインに活かしていくことが大切です。今回は、TACEの効果が乏しく、また肝機能を落としてTACEによって恩恵を被らないであろうと思われる集団(腫瘍量の多い集団)のみを対象にして臨床試験を行ったのが、ポジティブな結果を出せた原因であろうと考えています。

膨大な数の論文執筆を可能にする、「書く」習性

―臨床や研究の現場に立ちながら、海外での会議や講演に出かけ、多忙を極めていらっしゃる中、毎年60~100報という膨大な論文を発表していらっしゃいます。どうしてそんなにたくさんの論文を書けるのですか?

論文を書く習慣を付ける大切さを強調する工藤正俊教授

工藤教授:京都大学の医学部を卒業して間もない頃、神戸市立中央市民病院という高度医療と救急が主体の地域の基幹病院に赴任しました。夜の5時から朝の9時までの間に150人くらいの患者さんが救急外来に来ますし、一晩で30-40台の救急車で搬送患者もあるような忙しい病院でした。

私も当直勤務を担当し忙しい毎日でしたが、その頃でも毎朝6時から9時は論文執筆の時間と決めて実践していました。おかげでそのように忙しい市中病院勤務でも18年間に29報くらい筆頭著者の英文論文を書き上げることができました。その習性がしみついているのでしょう。今でも移動中はタクシーの中であれ、飛行機の中であれ、ずっとパソコンで論文を書いています。出張がないときは午前中の時間を執筆に充てることが多いです。若い頃の過酷な経験のおかげでしょうか、集中して論文を書くことが苦になりません。2019年のCancers誌で発表した論文も確か4~5日で書き上げたと思います。

―論文執筆や研究生活の中で利用されているツールがあれば教えてください。

工藤教授Liver Cancer誌(2019年ジャーナルインパクトファクター9.720)の編集長を務めていることもあって、InCites Benchmarkingを使って研究者の経歴や業績を調べたり、また最新のジャーナルインパクトファクターを自分で計算したりしています。ジャーナルの質を保つためにも、正確な情報を集めるのは重要なことだと考えています。

まずはケースレポートを英語で

―若い研究医の方にアドバイスがありましたらお聞かせください。

『医師である以上、論文を書くことだけでなく最高の治療を行うことが最も大切です。』-工藤正俊教授

工藤教授:まずは、珍しい症例について、ケースレポートを書くところから始めるのがいいでしょう。その症例に関連する論文を徹底的にリサーチすることになるでしょうから、知識を蓄え論理的思考能力を養ういい機会にもなります。もちろん、書くのは英語です。論文は英語で書かなくては意味がありません。私の教室ではリサーチミーティングも英語でやっています。ケースレポートの次に目指すのはフルペーパーの論文になりますが、最終的には単施設ではなく多施設、後ろ向きではなく前向き試験、国内だけでなく国際的な共同研究を実施して論文を書けるようになるのが理想ですね。

また、医師である以上、論文を書くことだけでなく最高の治療を行うことが最も大切です。最先端の治療を行ってこそ、未解決の問題が見えてくる。そしてその課題解決のために臨床試験を組む。その繰り返しです。臨床研究には終わりがありません。

癌細胞阻害薬を用いた新規治療法の開発へ

―今後の課題は何でしょうか?

工藤教授:免疫チェックポイント阻害薬の効果を検証しているところです。私たちの体には、体内に侵入した異物を攻撃するかどうかをチェックする仕組みがあるのですが、癌細胞はこれを悪用して自身を異物とみなさないよう免疫系に働きかけるのです。

これを阻害するのが免疫チェックポイント阻害薬で、オプジーボが有名です。つい最近、別の免疫チェックポイント阻害薬アテゾリズマブと分子標的薬ベバシズマブの併用の臨床試験が成功しました。私もGlobal Steering Committeeとしてこの臨床試験を主導したのですが、今年中には世界中で使えるようになると思います。また、肝臓癌には同じく免疫チェックポイント阻害薬であるペンブロリズマブも有効とされているので、ペンブロリズマブとレンバチニブを先行投与したTACE併用療法の効果を検証し、中程度の進行肝癌の患者さんに臨床試験を行っているところです。さらに、切除やラジオ波による根治的治療の後の再発抑制に対しての免疫療法の効果というテーマや、免疫療法が効く患者さんと効かない患者さんをあらかじめ見分けられないかというテーマにも取り組んでいます。

―多くの患者さんを救う方法が次々に増えていきますね。ますますのご活躍を期待しております。ありがとうございました。

***

工藤正俊教授へのインタビュー・前編では、肝臓癌治療法の発展の経緯や、世界初となった治療ガイドライン作成の背景についてお話いただいています。

工藤正俊教授研究コラム「レンバチニブ先行後の選択的TACEによるシナジー効果」

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北川進博士-京都大学のお部屋に飾られた絵画の前で

多孔性配位高分子(PCP):ナノスケールの孔から広がる無限の可能性・後編

日本の資源「人」を育てる支援策が必須‐若手研究者には焦らず「ダイヤモンドの鉱石」を見つけてほしい

焦らず、根気よく研究を続ける大切さについて語る北川進博士

―先生は、もともとは理論化学を専攻していらしたそうですが、コンセプトを提唱することを大事にしていらっしゃると伺い、なるほど理論化学者らしい発想だなと思いました。理論化学から錯体化学へ転向し、さらにはPCPの分野を作り上げてきた一連の歩みは、若い人にとって素晴らしいロールモデルとなると思うのですが、若手の研究者に伝えたいことはありますか? 

北川博士:先ほども申し上げたように初めからPCPを作ろうとは思っていなかったのですが、たまたま就職した研究室で巡り合ったテーマが、結果的にPCPを生み出しました。

思うように結果が出ず、焦り、悶々とした日々もありました。それでもしぶとく粘ること。そしてあらゆる手を尽くし、いろいろな経験をすること。そうしてバックグラウンドを作ってチャレンジを続ければ、きっと「ダイヤモンドの鉱石」がすぐそばにあることに気がつくことができると思います。年齢で言えば、1997年の論文が出た当時、私は46歳、その後さらに花開いたのは50代になってからです。ですから若い人には「焦らないで」と言いたいです。

―論文が出るスピードが速くなり、また任期付きのポジションしかないという状況の中で、なかなか腰を据えて研究に取り組むのは難しいのでしょうね。博士課程に進学する学生も少なくなっていると伺いましたが、どうすれば日本の研究を盛り上げていくことができるとお考えですか?

『資源もエネルギーもない日本において、国の資源はなんといっても「人」です』-北川進博士へのインタビューより

北川博士:若い人のレベルが落ちているとは決して思いません。ただ博士課程にいく人が少なくなっているのは事実です。理由は、ポジションが少ないからでしょう。昔はパーマネントのポジションがそれなりにありましたが、今は定員を削減していますから空きが出ても募集をかけないことがよくあります。

優秀な若手研究者の支援体制をもっと強化しないといけません。たとえば若手研究者の登竜門として科学技術振興機構(JST)の「さきがけ」という助成金プログラムが知られていますが、その門戸をもっと広げるのも一つの解決策となるでしょう。

資源もエネルギーもない日本において、国の資源はなんといっても「人」です。ロールモデルとなる先輩がでてくれば、後に続こうという学生もきっと増える。大型の研究にお金を出すのも大事かもれませんが、若手研究者の支援はそれ以上に大事な課題だと思います。

論理の飛躍なく、客観的に推敲された論文を

論文執筆の指導法について語る北川進博士

―研究室にいる若手研究者の人に論文の指導などもなさるのですか?

北川博士:私の研究室にはポスドクが数名いますが、論文を投稿するまで私がレフェリー役になって何度も修正します。

論文を書くときに一番気をつけたいのは論理に飛躍が無いようにするということです。きちんと既発表論文を読み込んで、数行に1報は引用するくらいの気持ちで丁寧に論文を引用することが大事です。

また、こんな面白いデータがあるからみてもらいたいという思いからか、大上段に構えて「この研究からこんなことが可能になる」というようなことをイントロダクションに書いてみたものの、その結論は実験データから直接導きだせないということが、ままありますね。書いた原稿を客観的に見つめ、自分のシナリオから脱却することも大切です。

―先生ご自身も多数の論文やレビューを執筆されていますが、使っていらっしゃるツールがあれば教えてください。

北川博士:論文の整理にはEndNoteを使っています。私が所属する京都大学・物質‐細胞統合システム拠点iCeMS(アイセムス)では研究室間の共同研究が盛んですが、EndNote Site Licenseを使えば、自分がチェックした論文リストを研究室のメンバーはもちろん、共同研究者ともシェアできるので大変便利です。また、リサーチミーティングで議論するときなど、視覚的に論文を共有できるのも大変ありがたいですね。

新しい発想や経済的なメリットを生むアイセムスの異分野間共同研究

―共同研究のメリットは何でしょう?

北川博士:分野の異なる研究者と仕事をすることで、発想の幅が広がりますね。一つの分野の中だけで仕事をしていると、気がつかないうちに発想が凝り固まってしまいがちです。

私は化学が専門ですが、Spring 8の物理の先生方と一緒に研究したことは、とても面白い経験でした。化学の人達はエンドユーザーで既にある機械を使うのが一般的ですが、物理の人たちは物質に合わせて装置を一から作り上げるのです。おかげでPCPに酸素が吸着する状態を明らかにすることができました。私の研究のあゆみの中でも印象深い仕事です。

―アイセムスでは材料科学や生物学をはじめとする様々な分野の研究者が所属し、共同でプロジェクトを進めているそうですね。アイセムスのコンセプトは何でしょう?

iCeMSでの異分野間共同研究のメリットについて語る北川進博士

北川博士:この拠点を立ちあげる時に目指したのは「メゾスコピックなサイエンス」です。メゾスコピックとは、500nmくらいの大きさを指します。生命現象を明らかにしようと思ったら、まずは細胞の仕組みを理解しましょうとなりますが、完全にバラバラにして分子にまで分解してしまっては、生命としての機能は失われてしまいます。かといって細胞のままでは複雑すぎて解析できない。細胞の働きの要となる一連のプロセスは、いずれもメゾスコピックなサイズで起こっているのです。これを解明していこうというのがアイセムスのスタンスです。

―異分野間の交流を活発にさせるために具体的にはどのような工夫をされているのでしょうか?

北川博士:それぞれの研究室を孤立させないために、材料と生物の各分野の中ではオフィスを共有しています。別の部屋にいる人には「今、どんなことをしているの?」などと気軽に聞けませんが、そういう会話が日常的に行える環境を作っています。そこから新しい発想や共同研究のチャンスも自然と生まれてきます。

また、実験設備も共有しています。アイセムスではコアファシリティーがあって、独立したPIの人たちがお金を払ってそれを使います。そうすれば自分の研究費で高価な機械をわざわざ買う必要がありません。もし、もっと性能のいい機械を使いたければ、それこそ、その専門家に共同研究を持ち掛ければいいという考え方です。

更なる発展を続けるPCP研究

―今後はどのような課題に取り組んでいきたいですか?

北川博士:PCPは、さらに進化して第4世代を迎えようとしています。最近では、爆発性の物質を感知して変形するPCPが開発されました。また、固体であるにもかかわらず水に溶けるPCPも登場しました。これを他の材料に混ぜ、あるいは塗布して膜をつくることにより、既存の技術とハイブリッドさせれば、さらに新しいデバイスを作ることが可能です。 

PCPを詰め込んだ筒に空気を通過して酸素を濃縮するような大層な方法でなく、繊維にPCPを混ぜてハイブリッド膜(布)とすれば、空気中の酸素を濃縮して取り込むことができるマスクができるかもしれません。

―PCPの可能性が無限に広がりますね。ますます期待が高まります。今日はありがとうございました。

多孔性配位高分子構造モデルのクリアファイル
1997年に発表したPCPの分子構造をモデルにしたクリアフォルダ

***

北川進博士へのインタビュー・前編では、PCP開発の経緯や、レビュー論文執筆の重要性についてお話いただいています。

北川進博士研究コラム「配位結合とPCP」

高被引用論文著者(HCR)インタビュー記事一覧はこちら

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『気象の数値モデル作成は誰がやっても同じ結果にはならない、いわば職人技』-竹村俊彦教授インタビューより

大気中の微粒子が気候を変える!?数値モデルSPRINTARSが挑む壮大なプロジェクト・後編

数値モデルのプログラミングは誰がやっても同じ結果にはならない職人技

―20年以上にわたり、エアロゾルが気候変動に及ぼす影響を探るべくSPRINTARSの開発・運用に携わっていらしたとのことですが、研究をなさっていて、どういう時が一番楽しいですか?

SPRINTARSを使って一般社会に対しても情報を発信する竹村俊彦博士

竹村博士:プログラミングをしているときですね。気候の数値モデルというのは、すでに解明され定式化された現象だけでなく、理論的に明らかにされていないプロセスについても、数式に落とし込まなければ作れません。例えば、砂漠で風が吹く状態をイメージしてみてください。砂がふわっと舞い上がりますが、この個々の砂粒の動きは実は理論的に完全には解明されていません。でも、風が強く吹けば舞い上がる砂の量は多くなるので、風速と砂の舞い上がり量の関係式をコーディングしてみればいいのです。

ごく簡単な例をお話ししましたが、実際には日ごろから幅広く論文を読み、各専門分野の最新の知見に基づいて数式をコーディングしていきます。誰がやっても同じ結果にはならない、いわば職人技といえるでしょう。こうやればうまくいくはず、と思ってプログラムを走らせても、たいていバグが出てしまうので試行錯誤の繰り返しです。1つの過程を組み込むのに最低でも1週間はかかりきりになりますが、うまくいった時の喜びはひとしおです。

―大学の運営に関わるお仕事もされながら、それだけの時間を確保するのは大変でしょうね。

竹村博士:確かにPIになっても自身でプログラミングするのは大変ですし、めずらしいことかもしれません。後進を育てていくことも必要なので、大学院生や若い研究者と分担しながら改良を進めています。

数値モデルの予測結果で社会へも貢献

―SPRINTARSを使って一般社会に対しても情報を発信されているそうですね。

竹村博士:PM2.5や黄砂がどれくらい飛散するか、1週間先までを予測して公開しています(図:PM2.5・黄砂週間予測システムの開発と運用)。SPRINTARSはエアロゾルによる気候変動を予測するための数値モデルなので、数年とか数十年という単位の変化を追うように設計されていますから、明日や1週間先など短期的な予測するためには補正する必要がありますが、基本的には同じ理論に基づいて計算しています。PM2.5や黄砂の予測は、SPRINTARSの副産物ともいえる成果です。喘息をお持ちの方や小さなお子さんなど、このような情報を必要としている方がいらっしゃいますし、社会貢献の一環としてボランティアでやっています。

PM2.5・黄砂週間予測システムの開発と運用の説明図
図:PM2.5・黄砂週間予測システムの開発と運用

―国際的にはいかがでしょうか?

竹村博士:2007年の福島第一原子力発電所の事故の際には、放射性物質の飛散量を予測し、海外の国々にどれくらいの影響があるかを2011 年にScientific Online Letters on the Atmosphere (SOLA)誌に発表しました。事故が起きたのは3月でしたが、夏には論文を発表しました。この論文をきっかけに、より狭い領域でより短期的な飛散予測を詳細にするための数値モデルの開発が進みました。

また新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大の影響により、2020年2月ごろからNO2の発生量が中国で激減していることが報告されています。このようなデータとエアロゾルの観測値を解析することにより、どのくらいNO2を減らせばこれくらいエアロゾルが減るという分析も可能だと思われます。現在、取り組んでいる課題の1つです。

研究は政府関係者からの注目を集め、IPCCの報告書作成という名誉へ

―IPCCの報告書の作成にも関わったと伺いました。どのようなお仕事をされたのでしょうか?

竹村博士:IPCCの報告書の著者は各国政府からの推薦を受けた研究者の中から、IPCCの本部により選出されます。大変、名誉ある仕事で、私にもそのようにして声がかかりました。

報告書は、比較的新しい学術論文の成果をまとめたものです。フルペーパーの論文を書くのとは違い、むしろレビュー論文を書く作業に近いですね。専門家や政府関係者からの査読も3回入ります。第4次評価報告書では執筆協力者、第5次報告書では主執筆者を務め、当時は常に締め切りに追われている感じで研究との両立に苦労しましたが、重要な仕事に関わっているという使命感で乗り切りました。

ポジションを得る前の若手研究者へ支援を

―国際的にご活躍されている先生のお立場から、若い研究者へアドバイスがありましたらお聞かせください。

竹村博士:研究者として自立していくためには、装置にせよモデルにせよ、何かしら自分自身でツールを開発することが大事です。誰かが作ったツールを使えば簡単にデータが出るし論文の数も増えるかもしれませんが、やはり自分で作ったツールを持っている人は強い。そのツールにかけては、誰よりも自分がその特性をよく理解していますし、たとえ自分の研究が行き詰ったとしても、他の人がそのツールを使ってくれることで、思わぬ方向に進展することもあるでしょう。

加えて、研究の幅を広げることも大事です。私自身、30歳のときにNASAのGoddard Space Flight Centerに1年ほど滞在し、専門の数値モデルではなく、あえて人工衛星を使ってエアロゾルの観測をしているラボを選んで仕事をしました。おかげで観測に関する理解を深めることができましたし、それまで交流のあった海外の研究者とお互いに顔が見える関係を築くことができ、情報交換もさらにやりやすくなりました。メールやweb会議ツールが発達している時代でも、やはり直接会ったり一緒に仕事をしたりすることで、より信頼関係が強くなることを実感しました。

―現在、日本の研究者の数が減り続け、論文の数も欧米や中国に押されていると聞きます。どうしたらこの状況を解決できるとお考えですか?

竹村博士:研究者の数を増やし、層を厚くするために、博士課程に進む学生の数を増やすための対策を打ち出すことが急務です。優秀な学生ほど博士課程に進まずに民間企業に就職する傾向があり、もったいないと感じています。

今、若手研究者をサポートする研究費はそれなりに充実していますが、これはすでにポジションを得て自立した若手研究者を支援するためのものです。学位をとってからポジションを得るまでの間も生活に困らない仕組み作りが必要です。欧米では、獲得した研究費の中から自分の給料を出すことが可能なのですが、このシステムを、是非、日本の若手研究者、それも30代くらいまでの人たちに向けて導入したらいい。そうすればキャリアパスを具体的にイメージできるので、博士課程に進もうと思う人が確実に増えるでしょう。

ツール開発から気候変動の影響予測へ – さらに拡がる研究課題

―最後に、先生がこれから取り組んでいきたい課題をお聞かせください。

竹村博士:これまではSPRINTARSのツール開発自体が研究のメインで、エアロゾルによる気候変動の影響を統合的に評価できるようになったのは、つい、この2~3年のことです。今後はエアロゾルの排出を何年かけてどの程度減らせば、地球の温度がどの程度変化するといったような分析結果を出すところまで持っていきたいです。

―壮大なプロジェクトですね。ますますのご発展をお祈りしています。ありがとうございました。 

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竹村俊彦博士へのインタビュー・前編では、数値モデルSPRINTARSとエアロゾルの概要についてお話いただいています。

竹村俊彦博士研究コラム「エアロゾルによる気候変動」

高被引用論文著者(HCR)インタビュー記事一覧はこちら

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